複言語・複文化を生きる親と子の思い
−経験を語る、経験を聞く−
タイで生まれ日本人学校に通った
Kさんの思い(母タイ・父日本)
第2回報告
第1回報告では【Kさんと日本語を巡るストーリー:幼少期から中学まで】を紹介しました。第2回報告では、日本人学校から英語コースのあるタイの高校に進学したKさんが、新しい言語環境をどう生きたのか【Kさんとタイ語、そして英語】として報告します。
Kさんとタイ語、そして英語をめぐるストーリー:高校時代
Kさんは、タイの大学付属高校の英語で学ぶコースに進みました。日本語で学べる高校はなく、これが唯一の選択肢でした。インターナショナルスクールは経済的に負担が大きく、タイ語の読み書きが求められる普通コースは、これまで日本語で学習してきたKさんにとっては、難しかったのです。では高校の新しい言語環境をKさんはどう生きたのでしょうか。
■Kさんとタイ語
何もかも変った高校進学
高校入学時はもうすごかったです。やっぱ大変でしたね。周りの環境も変わったし、言葉も変わったし。もぉ、全部変わったんで。タイ語もそこから真面目にやりだしました。タイの学校は全部がタイ語で、皆わかっていることが当たり前の中に入っていったんで・・
高校進学はことばだけでなく「全部」変わる大変な経験だった。その大変さは英語ではなくタイ語のエピソードから始まった。
高校生活で必要だったのはタイ語
周りはみなタイ人。先生の悪口とか、書くじゃないですか?で、(授業中に)まわすじゃないですか?タイ語なんですよ。で、読めなくて悔しい。自分だけわかんないから、なんだよ〜、って言って勉強はしましたね。俗語を喋ったり聞いたりするのは、出来ていたんですよ。あとは、こうやって書いたら、こうやって読むんだよ、っていうのがわかんなかっただけで。
■小学校から高校入学までのKさんのタイ語
Kさんは日常的にタイ語を使っていたのでタイ語で話すこと聞くことに問題なかった。タイ語の文字は小学校5年から始まった日本人学校のダブルの子どもたちのためのタイ語教室で覚えた。文レベルの読み書きを学ぶため、中学2年になるころお母さんの希望でガンスクサー・ノーク・ロンリアン(注)に入ったが、学校の学習は反復練習や選択問題が多く、読み書きの能力は「小学1年生レベル」だったとKさんは言う。ところで高校までタイ語ができなくて困らなかったのだろうか。
(注)ガンスクサー・ノーク・ロンリアンとは、国の機関で、飛び級を目指す学生や、経済的理由等で勉強出来なかった社会人たちを対象に国が支援する教育機関。土日に開講され、通常より早く修了するカリキュラムが組まれている。
できなくても困らないことばだったタイ語が、生き残るためのことばになった
う〜ん、がんばって読もうとしてたと思うんですけどね。食べ物は困んない。あと、道も困んない。困った時は「お母さん読んで」って。 高校に入ったら、やらなきゃいけない。生き残る為に。(具体的には?)ノートをとる時、タイ語がわかんなかったんで、日本語で書いてましたね。まぁ、僕、遊んじゃうんで、クラスでも。あんまり勉強も真面目にしてなくて。できる人のノート借りて見たりとか。でも、ノートはタイ語で書いてあるから読めない。読まなきゃいけないなってのがあって。(誰が教えてくれたんですか?)親しいタイ人がいてくれて、教えてもらいました。
高校は英語コースだったが、仲間に入るためにも、英語の勉強についていくためにもタイ語の読み書きができなければと痛切に感じたことがわかる。Kさんは高校に入ってから増えていった学校外の友人たちにタイ語を教えてもらった。ところで、英語は問題なかったのだろうか。
■Kさんと英語
英語で学ぶのは大変だったけど、、、
小学3年生のころから、弟と英会話を習い始め、学校では小学5年生から英会話の授業があった。語彙は他の友人よりも多かったので、高校に入っても先生とミュニケーションすることができたそうだ。でも高校の授業では苦労したようだ。
英語で言われたのを、とりあえず黒板写すんですよ。で、家に帰ってから辞書で日本語でひいたりとか。・・・苦労したこと・・・う〜ん。具体的になんだろうな。
英語での学習は大変だったものの、英語の苦労はタイ語の苦労ほどには語られない。
いい先生と出会った高校
英語も大変です。でもね、先生がよかった。アメリカ人の先生で、会計専門の先生で、丁度、担任だったんですよね。わかるまで説明してくれたり、やっぱり先生って感じの人だったんです。クラスに来て、これだけ話したからもう解散、みたいな人ではなくて、わかってほしくて私は来ていて、先生をやっている、っていう人だったんですよね。先生らしい先生っていうの?アメリカ人の英語なんで、文法とかも教えてくれましたね。担任だったっていうのが、大きいね。厳しかったですよ、先生は。
いい教師との出会いがあったことも幸いした。だが、英語の大変さはタイ人学生がほぼ100%の高校で、級友と共有されていたはずである。共有された大変さは心理的な負担感が軽かったのではないだろうか。
■Kさんにとっての3つの言語
3つの言語のわかり方
最近、日本語の本を読んでるんです。あれって全部読まなくても、意味がわかるんですよね、漢字で。でも、タイ語は声を出さないと意味がわからないんです、自分では。英語の場合、線をひくとわかるんです。言葉にこういうふうに線をひいていって見ればわかる、って感じなんです。
この3つの言語のわかり方の違いは面白い。複数言語の子ども全員が同じ認識ではないだろうが、モノリンガルで育った人間にはないことばの認識である。今、Kさんは自分のことばについて次のように語る。
■Kさん自身のことばへの評価:現在
不思議なのが、中3まで日本語の方が得意だったのが、高校から環境が変わって、今ではタイ語の方が喋りは得意ってことですよね。高校以降は日本語を使う経験はほとんどないですね。通訳になった時に使いだしたくらい。あと、家で弟たちと喋るくらい。周りが皆タイ人で、タイ語しか必要とされてないし、テレビもタイ語なんで。 書き方は独学だから文字書く時、今は小学生みたいな大きな文字になっちゃうんですよ、タイ語は。友達には笑われるけど、でも通じるから、問題ない。
今一番得意なのはタイ語、と言い切るのは、今もタイ語が生きるためのことばだからだろう。「通じるから問題ない」というのはごまかしではない。「生き残る」ことの自信だと感じる。
第2回は高校進学を機に起こったタイ語と英語の新たな経験を軸に報告しました。Kさんのことばは常に人との関わりの中で習得されています。次回第3回はKさんのアイデンティティをめぐるストーリーを中心に報告します。