JMHERAT第15回セミナー
子どもを育てる、ことばを育てる
複数の言語・文化で育つ子どものリテラシーを考える
2019年3月17日に開催した第15回セミナーの内容をこれから4回にわたってご報告いたします。今回のセミナーでは具体的にリテラシーを考えるために「セミナーのはじめに」でタイの子どもと親の現状を報告し、齋藤先生からリテラシーをどう捉えたらいいかお話いただきました。第1回報告はこの「セミナーのはじめに」の報告です。齋藤先生のお話は全文掲載いたします。
〈セミナーのはじめに〉
「タイで育つ子どもの言語・文化経験」深澤伸子(JMHERAT代表)
「これまでタイで関わってきた経験から」池上摩希子(早稲田大学)
「社会参加を支える「読む力・書く力」―リテラシーの捉え直し―」齋藤ひろみ(東京学芸大学)
1.「タイで育つ子どもの言語・文化経験」深澤伸子(JMHERAT代表)
子どもたちの言語・文化経験と言語・文化意識の多様さを紹介することで、本セミナーの個別の発表の背景、そしてセミナーのテーマ設定理由を知っていただきたいと考えた。最初に研究会の紹介をし、次にタイで育つ子どもが通う4タイプの学校を紹介した。それから、タイで育つ子どもたちはどのような子どもたちか紹介した。主に、(1)言語経験をライフコースに位置付ける「言語マップ」、(2)言語・文化経験を人との関わりで見る「関係性マップ」、(3)自分の言語・文化意識を描く「言語ポートレート」、という三つのツールで描かれた子どもたちの多様な人生と多様な意識について事例を挙げ紹介した。
2.「これまでタイで関わってきた経験から」池上摩希子(早稲田大学)
深澤の報告を、立ち上げ当初からこれまでずっと研究会と関わってきた池上先生から「変化」という視点で補足していただいた(機材不調による音声不良のため一部抜粋して掲載します)。
<変化してきた二つの視点>
池上:自分が関わり始めた2007年ころは誰が主体で考えていたかというと、最初は教師でもある親が中心で、「どうやって」子どもの日本語の力を伸ばしていったらいいかという発想、考え方が主だった。子どもたちを見ていく視点の主体が、親であり、イコール教師であった方々が中心であったところから、子どもも含めた多様な人たちが主体になっていくに従って、やはり最初はどうやって子どもの力を伸ばせるか、つまり、どうやって学ばせるかという視点から、今現在は、私たちが目の前にしている子どもたちのことばは「どのように」なっているんだろうというのを探った上で、では、どうやって支援をしていけるのかと考えるようになってきていると思います。その「どのように」というのが、今ほどたくさん紹介してくださったツールで描き出された子どもたちの状況であり、その状況も一人一人違いますから、一人一人にオーダーメイドで支援の仕方を考え、クラスやグループの中でこのようにいろいろな体験を経て、いろいろな言語状況にあるということを踏まえた上で、では、私たちは「どのように」支援ができるのかということを考えるようになってきている。
<ライフコースとリテラシー>
池上:それにしても、やはり子どもたちのライフコースですね、どのマップを見ても、この子どもたちは過去、つまり生きてきた過去があって今現在がある。そして、次にどういうふうになっていくんだろうということを子ども本人も、また、私たちも考えなければいけないということがすごく伝わってきました。そのライフコースを構築していくために、やはりことば、日本語だけではないと思いますが、その中に日本語がある。日本語が組み込まれている言語の力、ことばの力というものを考える。そこについては、とても広いものなので、では、今日はリテラシーというところに少し視点を定めて皆さんと考え、話し合って、そしてもっと続けて考えようかな、という形で会が終わるといいかなと思っています。
3.「社会参加を支える「読む力・書く力」―リテラシーの捉え直し―」齋藤ひろみ(東京学芸大学)
<皆さんの「リテラシー」のイメージは?>
齋藤:皆さんにお尋ねします。リテラシーという時に、最も大事だと思うのは何か、次にあげる3点から、一つ選んで、手を挙げていただけますか。1番、漢字、2番目に文法、そして3番目が文章を書く力。どうでしょうか。この三つの中でどれが大事だと思いますか。では、一つ目の漢字が大事だと思われる方は?(会場で数名の方が挙手)。では、2番目の文法の力が大事だという方は?(10名程度が挙手)。ありがとうございます。では、3番目の文章を書く力が大事とお考えの方は?(相当数が挙手)。はい、ありがとうございます。実は、ずるい質問だったのです。この三つの力の一つ一つを高め、探求しても、リテラシーの力としては十分ではないというお話をこれからいたしますので。すみません。
さて、今日のテーマの「リテラシーの捉え直し」に関してですが、今、皆さんに手を挙げていただいた要素は必要な力です。ただ、「それらを何のために使うのかが大事だ」ということを、これからお話しいたします。
<読解リテラシー(OECD:PISA調査)>
齋藤:リテラシーの捉え方について、まず一つ、OECD(経済協力開発機構)のPISA調査における定義を紹介したいと思います。皆さんもお聞きになったことがあるかと思いますが、10年ほど前になりあすが、日本の生徒の読解力の調査結果が低く、文部科学省が大慌てしたということで話題になりました。そのOECDのPISA調査での「読解リテラシー」について、2006年のドミニク・S・ライチェン、ローラ・H・サルガニク著(立田慶裕監訳『キー・コンピテンシー 国際標準の学力をめざして』明石書店)から紹介します。その定義は、「自らの目標を達成し、知識と可能性を発達させ、社会に参加するためにテクスト(書かれたもの)を理解し、活用し、深く考える能力」とされています。この定義の背景には、OECDの「キー・コンピテンシー」という資質・能力観があります。キー・コンピテンシーは、三つで構成されていますが、その一つ目が、(1)社会的に異質な集団で交流すること。皆さんは日々実践されていることですね。それから(2)自律的に活動すること。目標や目的を設定し、そのために自分で行動を計画し、それを振り返り、そして、よりよい明日のために、何をするかを判断し、次なる目標化をするというような力です。それから、(3)道具を相互作用的に用いること。キー・コンピテンシーの要素として三つ掲げられていますが、読解リテラシーはこの三つの中のどこに直接該当すると思いますか。それは、(3)です。言語を相互作用の道具と考えます。なので、何と言っても、相互作用の中でリテラシーの力は発揮されてるものであると考えたいですし、それが人生の目標の達成に結び付くことが重要です。
例えば、先ほどの深澤さんが紹介された大学生のケースでは、将来の仕事をする場として、最初は自信がないから日本は無理かなと言っていたわけですが、大学での生活を通して、日本で仕事をしたいと思うようになった。目標を掲げることができたわけです。それを達成するために、彼は日本語、それからタイ語、そして英語と三つの言語を扱う力を高めていったのですね。しかも、そこに他者との関わりがあり、それが意味づけをしていたと考えられます。彼が持っている可能性を、テキストを読んだり書いたりする力をもって、さらに発展させている。情報を得るために、きっと読むことも必要だったでしょう。あるいは、誰かに伝達するために書くことも必要だったでしょう。その中で自分の可能性を発達させ、実現していく。それが、社会との関わりの中で発揮された場合に、彼は社会的な役割を果たしていくことにもなります。先ほど池上先生からライフコースのお話がありましたが、ライフコースで重要な要素として、社会的な役割を連鎖として連ねていくということが含まれます。また、社会との関わりの中では、私がタイ語で読み書きができることによって、この社会にどういう貢献ができるのかも重要です。貢献できたと感じた時に、きっと目標を達成できたと感じるでしょう。そのプロセスでは、物事や情報として得た事柄について判断し、自律的に決定をし、その判断に基づいて、社会と関わり、行動する。そこに、深く考えながら言語を使うということが伴うと考えられます。
リテラシーについて、冒頭であえて表面的なスキルである側面を三つ挙げました。漢字、文法、文章を書くことです。それらの力を今ここにお示ししたような活動や行動として動かしていく、そういう力をリテラシーと考えたいと思います。
<書くことと認知的発達>
齋藤:次に、内田伸子さんという発達心理学の著名な先生の、だいぶ古い書物ですが、『子どもの文章』(東京大学出版会、1990)から、認知的な側面と書くこととの関係について紹介します。そこには、このように書いてあります。「書くことは認識を深めることである。自分について知りたい、言葉によって自分を表現したいと考え、メモを作って文章をつづり始める。つづっていくうちにことばで表現した自分と実際の自分とが違うようだと感じ始める。読み直してまた考える」。先ほど、深澤さんが最後に示してくださった、人の形に自分のことを書いていく言語ポートレートは、文章ではなくメモのようなものでしたが、まさにこの活動のことだと考えられます。これが1点目です。
それから、認知的な側面と非常に強い関わりとして、スライドの二つ目を見てみましょう。「書きことばによる言語活動の特異性」として、文脈から独立していることが挙げられています。今、ここで行われていることも、音声では消えてしまいますね。口頭の言語では「それ楽しい?楽しくない?」「これ、どう思う?こんなふうに思う」というような、その場でのやり取りとなります。ですので、その場所を離れた時には、そのことばは消えています。音声ですから、残すことが難しいですね。また、その場に依存した形でコミュニケーションが取られることが多いです。例えば、今、この部屋はクーラーがきているので、私が「ウーッ(身震いをするようなジェスチャー)」というようなジェスチャーをしたとします。皆さんは、私が今どう感じているかをことばにしていませんが、理解できますよね。はい、「ちょっと寒いです!室温調整してください。」と言うメッセージになっています。このように、音声のことばというのは、その場、状況に強く依存し、そして消えていくものなのです。
一方で、書きことばは書いたものとして残ります。例えば、今日の資料が100年後に残っていて、それを見た人が、「どうもタイで第3回実践何とかフォーラム(ただしくは、「タイにおける母語・継承語としての日本語教育研究会第15回セミナー」)があったらしく、そこで複言語について語り合っていたらしい」ということを想像できるわけです。100年後、日本語を介する人が、今日の出来事を歴史上の事柄として想像しながら、言語教育史を考えることができます。このように書きことばによる言語活動というのは、場から独立していると同時に、抽象的な思考に結びついてきます。具体物ではなくて、概念を形成していく上で、書きことばによって、事物を物事の関係として捉え直したり表現したりするということを通して培われていくと考えられます。
以上、OECDのキー・コンピテンシーの立場や発達心理学の子どものことばと認知の発達に関する知見を紹介しました。こうした点からリテラシーを捉え直した上で、今日は皆さん方のお子さん方のこと、学校の生徒さん方のこと、そして、皆さんご自身のことについて、言語の使用状況や書いたり読んだりする活動の意味を、もう一度、意味づけ直せたら、良い議論ができるのではないかと思います。
「リテラシーとは、読むこと、書くことを
活動や行動として動かしていくこと」
表面的なスキルにばかり目が行きがちですが、そのスキルは社会的存在としての人生を構築し、活動していくための力です。では、どう育成すればいいのでしょう。次回はリテラシ―育成を目指した「書くこと」の授業実践の紹介と、児童の学力と言語使用の関係についての調査を報告します。