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レベル差を乗り越える言語活動報告(201703S13)

みつめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実


子どもを育てる、ことばを育てる ―子どもが自信を持って生きるための言語活動実践―


2017年3月6日に終了したセミナーの内容をこれから数回に渡り報告します。今回は、第1部の「レベル差を乗り越える言語活動報告」の発表概要と、質疑応答、コメンテーターからのコメントを掲載します。

国際結婚で生まれた子どもや長期間日本国外で育つ子どもたちの場合、同じ年齢であってもその日本語能力には大きな差があります。このように、日本語レベルに差のある子どもたちが一緒に学習活動する状況は子どもの日本語教育現場の大きな課題です。 第1部では、このような難しさを乗り越え、子どもたちそれぞれの言語レベルを伸ばしていく活動をしているインターナショナルスクールと親が作る日本語教室のから報告がありました。


◆発表概要
 

学校 「日本語のレベル差を活かす試み―物語を読む授業」インター校ハイスクール部の実践

中町かほる(International School Bangkok)


インターナショナルスクールにおける母語教育は、学習者の母語教育経験の差異ゆえに、母語運用能力の開きが大きいことが前提である。発表で報告するのは日本でいう中学3年と高校1年の合併クラスの授業実践である。日本語母語教育経験のある生徒もない生徒も混在しており、国籍も様々で、漢字識字力が小4から高2ぐらいの違いがあった。今回の発表はこのクラスで行った文学の授業である。取り上げた作品はヘルマンヘッセの「少年の日の思い出」と有島武郎の「一房の葡萄」。この二つの作品は題材が似ているが主題が異なる。この作品を比べることで認知力をあげる授業を目指した。まず二つの作品を解釈し比較していく過程をグループ学習、ペア学習で丁寧に積み上げていった。学習効果を上げるために扱う作品を自分で選ばせ、協働型の授業を行った。個人の読みをグループで確認し、さらにその作品を知らない人に紹介するという理解の過程を経、次に表現技法の比較から主題を読みとり比較する段階にあげていった。日本の母性社会とヨーロッパの父性社会の比較まで進んだ生徒もいたが、母語力のない生徒も「なぜ盗みを働いた者が許されるのか、許した教師は盗まれた本人に何と言ったのか知りたい。」あるいは、表現技法の比較から主人公の弱さ、劣等感を導き出し、小説の中核をなす事件を「主人公の劣等感が悪い方向に固めた結果だと感じた」など、自分の考えを表明する感想を書いた。この段階ではまだ解釈のレベル。授業の最後は、二つの作品を参考にプロローグ、エピローグの構成を考え、将来の自分が少年の日の自分の物語を書くという課題に取り組ませた。理解から創造まで認知プロセスをあげて行った実践報告である。

参考資料 ・ブルーム 教育目標の分類 改訂版 (Anderson and Krathwohl-Bloon’s Taxonomy Revised 2000)  認知レベル分類:記憶⇒理解⇒応用⇒分析⇒評価⇒創造

・ラーニングピラミッド(National Training Laboratories)


 

親主催の教室 「共に成長し合える活動を目指して―テーマ型活動報告」親が創る日本語教室の実践

ケイホワサイ美穂子/衣畑美里/番場千恵子/小池快枝                    (バイリンガルの子どものための日本語教室)


かつて、私たちは子どもの日本語の力を読み書きのレベルで判断していました。しかし、子どもたちの日本語環境はそれぞれ異なり、レベルは様々です。そもそもタイで育つ子ども達にとってどんな日本語が必要なのでしょうか。そこで2008年、私たちは子どもの何を育むのか目標そのものを問い直しました。そして「主体的にアイデンティティを構築し、社会との関係を拓ける力を養う」ことを目標に「違い」や「差」そのものを資源として活動をすることにしました。そこで生まれたのがテーマ型活動です。今回の発表では全クラスの活動の様子紹介の後、中学年部の「マイアルバム」を中心にテーマ型活動の実際と課題、子どもたちの成長の様子を実際のやり取りデータで報告しました。「マイアルバム」は9・10歳の子ども達のこれまでの歴史と今を目に見える形にアルバム化したものです。日本語レベルに差があってもどんな子どもも同じテーマでそれぞれに取り組めます。作成過程で友達の事を知り、影響を受け合います。そして「私」がいっぱい詰まったアルバムを周囲の人に見せ紹介しコメントをもらいます。このアルバムを持ち歩いて沢山の人からたくさんの言語でコメントがもらえたら子どもたちにとって大きな自信になるでしょう。この活動を通じ子どもの成長のスピードや形は一人ひとり違っていても必ず成長することを親自身が学びました。テーマ型活動は親も子も一緒に成長できる活動実践だと思います。


報告例


「オリジナルのハンコを作りマイスタンプを作成しました。アルバムにCDケースを貼り付け保存。いつでもあげられる自慢の作品です。」










「生まれたときの気持ちを両親に手紙で書いてもらいサプライズで子どもたちに渡しました。手紙の言語は日本語に限らず、親の使用言語で書いてもらっています。」









「子どもたちにとって書くという作業はとても面倒なことです。「自分のアルバム」ですから、貼ってある写真や描いた絵が何を意味しているか本人はわかっているからなおさらです。そんな時担当者は、子どもに代わって文字化を手伝います。私たちが重視しているのは、自分のことばが文字になって残ること文字にするって悪くないなと子どもに気づいてもらうことです。」



 
◆質疑応答

〈中町先生に〉 質問:子どもたち自身や書く力に変化はありますか? 回答:書く力に関しては、PCを使うので、難しいことばを使ってきます。 自分が書いたものを読めない子がいたり、難しいところからコピーペーストしてきて、非常に難しい文体を書いてきます。 ITによって、書く力というか、語彙と文が変わってきたというのはあります。



質問:日本語力の差が大きいかなり大きい場合、生徒たちへの指導をどうしていますか? 回答:2つあります。1つは、日本語の言語力が低くても英語力が高い子には、語彙力を高める指導をしています。 同じような問題を持っている子を呼んでするか、グループ学習の時にその子たちを指導するようにしています。 もう一つは、英語も日本語もタイ語もベースにできる言語がないという生徒には、週一回、放課後に行っている「継承語の活動」に参加させることにしています。 これは、上級生が下級生に教えるもので、生徒たちで教え合うものです。 その中に私も入って生徒たちと一緒にしています。 1つのやり方で全ての学生に合うということができれば良いのですが、なかなかできませんので、放課後などの時間を使って1対1又は1対2で行っています。 日本語の授業に関する補習を行い、学生によっては強制的に参加させています。 また、ずっと一人の子に注目するのではなくて、今月はこの子に注目しよう!今週はこの子に注目しよう!今学期はこの子とこの子とこの子を重点的に!と決めて、授業中に観察しています。



質問:とてもレベルの高い授業内容に思ったのですが、ついていけない学生はいないのでしょうか?そのような学生は何割くらいいますか? 回答:ついていけない学生もいます。外国語としての日本語のクラスに入れて、徐々に自信をつけてもらって、後で引き上げてきます。その学生の割合は、年によって違うのでどのぐらいとは言えません。 ほとんどそういう子がいない時もあります。皆伸びるスピードが違いますし、割合がどうとは言えません。



〈バイリンガルの子どものための日本語教室に〉

質問:この団体は補習校登録をしないとおっしゃってました。補習校登録というのはどんなものなのでしょうか? 回答:補習校になりますと文科省から支援を受けられる、日本人学校からも巡回指導が受けられるということがありますが、ただ日本向けになってしまうんではないかという懸念がありました。 私たちはタイで育つ子どもたちが対象なのだから、ここでどう子育てをするかということで補習校登録をしませんでした。 当時、安定的な運営のため、補習校の方がいいんじゃないかという話もありました。 お母さんたちも、教えて下さる先生がいたらいいなあ、ということもありましたが、補習校になるということではなく、独自の路線を歩みましょう、ということをお母さんたち自身が決められたということです。



質問:お母さんたちが運営されているバイリンガル教室はすごく専門的にちゃんと考えられている印象を受けたのですが、テーマ、内容、カリキュラムなどを考えるのに、どれくらい準備をされているのですか? 回答:集まるのは月に2回ですが、タイの学校の長期休みである4月と10月に、1日中かけての大きなミーティングを行い、ずっと話し合いをした結果、テーマが出てきます。 私たちは普通の主婦や母親ですので、深澤先生にアドバイスを頂きながらやっています。 1日で決まらない場合は、また他の日にも集まります。


 
◆コメンテーターより

〈石井先生〉

2つキーワードがあるかと思いながら聞いた。

1つは違いに着目するということ。もう1つは発信。

子どもの違いは、日本語知識レベルの違いだけではない。母語の状況、認知力、経験、嗜好性などいろいろなことが違う。それが2つの活動それぞれに生かされている。

そして、違うことがあるということが、実は発信を生む一番大きい理由になる。

同じ物を見て、同じ物を教わった時、皆が同じように感じ、同じように理解するなら、そこでおしまい。

違う所を持っているからこそ、自分が、理解したこと感じたことを他の人に向けて再度発信しなおす意味が出てくる。

発表の資料にもあるように(ラーニングピラミッド)

他の人に教えるということが何よりも言語能力が定着するということだが、

ここで、他の人に向けて自分が理解したことをもとに発信をする、自分自身の表現が相手に届けられ、そのことで評価をもらう、ということが起こると、定着だけではなく、次の活動への動機付けを生む。

評価は必ずしも成績という尺度でなく、「それはいいね」「そうじゃないと思う」などの反応が返って来るということ。

自分がわかったこと感じたことを表現する、そのことによって自分も新しい相手からのメッセージを受け取れる。

その喜びを知ると、いろいろなことを知ってそのことについて相手に伝えたいと思う。

伝えるということは言葉を使うということに繋がる。

違うからこそそこで言葉を使う必然性が出てくる

受け取るだけの言葉ではない、教え込まれるだけの言葉ではない、自分を表現するための言葉に繋がっていく。


実践1(学校) 共通の作品を読みながらこんなに違う受けとめがあるということに生徒自身が一番驚いていると思う。議論が起きるかもしれないし、次からも感想を書く動機付けが生まれる。 教師からの評価だけでなく、子ども同士が、比べ合い、質問し合い、その中から評価をもらうというやりとりがまた違う意味での動機付けを生むと思う。


実践2(親主催の教室)

こちらも子ども同士のやりとりに発展できる。

自分のことを書いたものもそれぞれに発表しあうということもできたらいい。

1キロ歩くというのもいいアイデア。

切り取ってしまった単語、1キロという言葉を、1キロは千メートル、ということを学んでも、自分に何の意味ももたらさない。歩くことで実感できる。(注)

例えば万歩計をつけたらおもしろいだろう。

小さい子も大きい子もいて、みんなで千メートル歩いたのに万歩計を見たら数字が違う。

お互いに見せ合い、「小さい子はいっぱい歩いているよ」という話から、「どうしてだろう」「こうじゃないか」と自分の考えを表すための言葉の形が欲しくなってくる。比べるということを表す言葉が欲しくなる。

わかったという実感だけで終わらず、それを誰かと話し合ったり、相談したり、伝えたり、しようと思った時、それが、比較の表現であるとか、自分の気持ちを伝える言い方、事実を言うときの言い方、順番づけて話すことなど、家庭内の日常会話では出てきにくい言語形式を学べる大きなチャンス。

それに向けた非常な豊かな活動の流れがすでにできている。

体験したことをどの言葉に繋げるかというもう一歩を考えるとさらに見事なものになるのではないか。


(注)実践2では中学年部のテーマとして「マイアルバム」のほかに「数で知る私の世界」「マイカレンダー」が紹介された。このエピソードは「数で知る私の世界」の活動の中の一つ。


〈池上先生〉

多様性を資源ととらえる、違うことがあるからこそ表現に繋がる、という石井先生の話。

では私たちは何をすればいいのか。

子どもたちが、違いというものをいいことなんだというふうにきちんと理解して実感をともなって認めなければ、表現にはなかなか繋がらないと思う。

わからないことをわからないと言っていい、年齢が上の子が下の子にわからないと言ってもいい。

それを聞いてもらえる、そしてそれを教わることは悪いことではないと。

けれど別の軸に移った時に、このことに関してはこの人には自分が教えてあげられると。

2つの実践でも、子どもたちが先生、親御さんに教えるということはたくさんあったと思う。

それが起きるからこそ、自分は他の人に教えていい、先生以外にも教わっていい、先生にも教えていいと思える。

そうした固定的な役割がない中で、役割を転換しながら、自分の思いや自分の考えを表したい、表すことができた、という場面を作れていたのではないかと思う。

それを作っていくことが、いろんな子がいていいんだという環境を積極的に評価して、積極的に育んでいくことに繋がる。やるべきことに見えてくる。

評価にも様々な評価がある。

例えば子どもたちが作った作品を評価する時に、たくさんの軸の評価を持って評価してあげる。

子どもたちもそうして自分の中に評価の目を持つことができる。

他の人に対して、多様な評価の軸を持って接したり評価したりすることができる。

多様な存在を自分はどうとらえ、自分はどういう多様な存在であるか自覚して、次の活動、次の自己表現に繋がっていく。

私たちがしなければいけないことは、そういう環境を整えること。

そういう関係性の中で子どもたちと接し合うこと。

評価の軸をたくさん持ち、相手にもたくさん持っていいんだと言ってあげて、その目を育んであげること。

そうすることで、多様性を積極的にとらえ、多様性を生かした実践ができていく。


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