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ことばが生まれる体験・言葉よりことば(201703S13)

みつめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実


子どもを育てる、ことばを育てる ―子どもが自信を持って生きるための言語活動実践―


2017年3月6日に終了したセミナー内容の2回目の報告をします。今回は、第2部の「様々な活動紹介」の発表概要、質疑応答とコメンテーターからのコメントを掲載します。


◆発表概要
 

ことばが生まれる体験

谷口輝明(The American School of Bangkok 日本人幼稚園)


キャンプ紹介 今日は、このキャンプの活動の紹介とその活動が子どもたちの言葉の発達に影響を与えているのか考えてみたいと思います。キャンプの活動をスライド写真を見ながら紹介させていただきます。キャンプは、主に土日1泊2日で行われています。


キャンプ日程 〈1日目〉 09:30 バンコク集合 出発 11:30 シラチャー着       昼食 13:00 フェリーでシーチャン島へ 13:50 シーチャン島着 14:30 ビーチで遊ぶ       スイミング、カヤック、つり、       砂遊び、スキンダイビング、

       ビーチサッカーなど 18:00 ビーチパラソルの下で夕食       花火、星観測、潮干狩りなど 21:00 歯磨き 就寝



〈2日目〉 07:30 朝食 島探検 (登山) 12:00 フェリーでシラチャーへ        カヤックに乗って釣り 13:00 昼食 15:00 シラチャー出発  17:00 バンコク着       活動報告       解散






島探検で山登り。頂上は360度地球を見渡せます。地球がまるいことを実感。







市場に買い出し。みんなでクッキング。生きたかにを蒸し器に入れます。お好み焼きやカレーを作ります。


キャンプの仲間と寝食を共にし、いろいろなことを体験しました。 夜のお楽しみ会で子どもたちで考えた劇を発表したり、朝食を食べながらその日の活動内容を話し合います。 キャンプのルールとして電子機器の持ち込みは禁止しています。そのためか仲間との会話も多く帰りのバスの中でもしゃべりっぱなしでした。

キャンプに参加する仲間とワクワクドキドキの活動体験を共有したい、人に伝えたいという気持ちから言葉は成長していくのではないかと思います。


 

言語よりことばー繋がりと関係性を優先して

文殊寺恵美 / 角田麻美 / 藤井美由紀(日本人学校)


2013年より少人数での日本語支援教室が発足しました。就学前までは家庭の中で様々な生活言語に触れて育った子どもたちが、就学するときには、どの言語で学習するのか選択することになります。学習での言語力を高めるためには、その土台となる生活の中での「ことば」を広げる必要があります。そこで、私たちは日本語支援教室の中で、子どもたちに小さな初めての体験をしてもらったり、それを今までの体験と重ねながらつなぎ合わせて、「ことば」の広がりをサポートしています。しかし、子どもたちによって言語環境は様々で、その子に合ったよりよいサポートの仕方も多様です。そのため、教室の中だけでは限界もあります。だからこそ、家庭と学校が協力して、子どもたち一人一人の「伝えたい」「話したい」という気持ちがのびるきっかけを与えています。

どの体験や活動がその子にとって良いのか正解は常に分かりません。ただ、より多くの人がその子を思って自分の1番自信のある「ことば」で関わり続けることが子どもたちの中に「つながり」を作り出し、子どもたちの中に「ことば」が積み重なっていく瞬間を実践から実感しています。



 
◆質疑応答

質問:日本人学校の先生方に質問です。日本人の子どもがひらがなや漢字等を勉強している他に、タイ語をベースとしたお子さん達へは特別にどのような指導を具体的に行っていますか?

回答:日本語指導の教室に来る子たちへは、特に発音(「す」と「つ」や「し」と「ち」等)を重点的に確認しながら進めています。


質問:2年生が「1年生に教えたい!」「作文を書きたい!」と言った学生の作文を読んで感動したと仰っていましたが、その作文を読んでみたいです。どんな作文でしたか?

回答:その子は1文しか書けないような子でした。文章の完成度は立派なものではなかったかもしれませんが「先生、すごくドキドキしたよ!」「(今までしてきた練習が)できたよ!」という喜びが伝わってきました。


 
◆コメンテーターより

〈石井先生〉

(活動紹介1)キャンプ

あまりの体験のすごさというんでしょうか、これだけですごいなと思いました。学校的な文脈だと、楽しいことをやったあとに、さあ、感想文を書きましょうとなると思うんですけど、そういうことはやらさないほうがいいなとつくづく思いました。

例えば、小学校時代にどんなことがあっても作文を原稿用紙半分以上書いたことがないという子がいて、文章が書けないのかって心配するほどだったんですけど、大体学校文脈って、みんなで楽しくやったことについて作文を書きなさいって言われますが、「みんなでやったのに、みんな知ってるじゃん、何書くの?」って。運動会も、「昨日は運動会だった。玉入れをやった。面白かった。」それでおしまいなんですね。それ以上書くことないのって言うと、いや楽しいことはいっぱいあったんだけど、みんな知っているし、先生もいたし。っていう、そこからびくとも動かない。その楽しいという気持ちを、書きたいという、さっきの2つめのお話では、伝えたいっていう相手がいたので、文字にする必要性が本当にあった。自分自身のためにも書きたいというのがあったと思うんですけど、あんな見事なダイナミックな活動なので、あんまりそういうことはやらないほうがいいです。

ただ、Facebookに載せている写真は谷口先生が撮られたものですよね。あの写真を見た時に、あの写真の見事さはちょっとほっとけないです。子供達の本当に楽しかった気持ちは、あそこにでているっていうのは、見ていてわかります。だとすると、あれは作文という形で先生に提出するものではではなく、自分たちの親にも「こうだったんだよ」と見せたい写真のはずですよね。写真のひとつひとつをFacebookに載せるときに、例えば、その写真に1行でいいのでキャプションを入れていく作業をすると、言葉にして発信する楽しさに繋がるのではないかと思います。作文を出すのと違って、あの体験をしたあとだと、親や友だちに見てほしい、そしてFacebookにきちんとアップされるという最近の子供達だからこそ可能なツールがあります。作文用紙に書いて先生に提出しても、それはあまり魅力ではないと思います。あの写真があるからこそ、ひとことでも意味をもって伝わるし、そのひとことがこの写真をさらに良くするということが実感できます。豊かな体験を邪魔しない、だけど、その気持ちを外に出す手段をちょっと工夫すると、言語的な発達にも繋がると思いました。


(活動紹介2)日本人学校

体験を重視して、そういうことを言葉として重ねていくという事例。

四季を考えた時に、我々日本語教師がやってしまいがちなことは「日本の四季はこうだ」「日本人はこう感じる」ということを定型的に教えてしまうことがあるが、でも四季の感覚というのは、単に桜が咲いているから4月だというように切り取ったものではなく、殺風景で寒々しい冬を過ごしながら、芽吹きや草花の色が変わってきた喜びを感じたり、昨日までマフラーをしていたのに今日はマフラーをしなくてよくなったり、そういう感覚が裏打ちされて初めて実感するものです。

そこまでタイにいる子供達に理解しろというよりは、タイにいると季節は何が基準になって感じられるのかという自分たちが実は持っているその感覚を元に一回掘り起こしてみることが大事だと思います。

そういうことをした後に、季節ごとに写真のある日本のカレンダーを数部集めて、4月はどういうものかって話をした時に、4月はこうなると口で説明するよりも、並べてみた時になんか4月ってこんな感じだと、それぐらいのイメージで押さえていくと面白いです。同じように、タイの人たちがよく普通につかっているカレンダーのパターンで、どういうものが写真として組み込まれているかみてみると、日本のカレンダーはどれをとっても季節感が全面に出てくるものが多いのに対し、タイのカレンダーはそうではありません。タイの人たちにとってもう少し大事に思うことや行事など、そういうことでタイの人は季節を感じるんだとか、日本には行ったことないけど、日本の人はこういうことで3月って感じなんだなって感じることが大切です。日本人って言われても、日本で生活したことの無い子供達が、日本で生まれ育って感覚を刷り込まれている子たちと、同じように理解するってことを要求するのは乱暴な話です。そういうことがありそうだなってことを理解して、むしろそのようなことを「じゃあタイは?」と、比較できることで学べたら、言語的にも認知的にも成長できると思います。


〈池上先生〉

子供達の言語生活を捉えることが大切。

体験も、これはよく言われていることで、体験すれば学びが起きるというわけではない。体験してああ面白かったなって言って終わった時に、そこにはあまり学習はうまれない。楽しかった思いは残る。

そこに学習を起こしていくことが、私たちが作って行かなければならない仕組みだと思います。

それは、子供達が普段どんな言語生活をおくっているかによって、どんな体験が必要かが違ってくるので、言語生活をまず把握すること。そこに新しい体験を置くことで。普段の何も頑張らなくてもできている言葉の表現よりも、がんばっちゃうような体験。

それが伝えたいとか、教えてあげたいとか、もしかしたら思い出したいっていうようなところに繋がっていくんじゃないかなって思うんですよね。

体験そのものは一人なんですよね。最初はそこなんです。だけど、この体験を誰かと共有したいなと思えるかどうか。その体験をしていない人に自分がした体験を語りたいと思うかどうか。

もうひとつは、共有していることを、どんなふうに私は思った、この子はどう思ったんだろうという共有を共感しながら、言語に結びつけていくということが必要なんです。

3つめの体験の出先っていうのは、もう1回自分だと思うんです。時間がたった後に、大事な体験を思い出すってことです。

自分があのときに日本人学校で劇をしたなとか、あのとき先生は褒めてくれたなとか、いつかどこかで思い出せる、そこは何語で思い出すのか、思い出したことを誰と共有したいと思うのか、それは子供の成長の次の言語生活にも関わっていくんですけど、わたしたちはそこまで一緒に見ていけるかどうかわからないけど、そういうことが起きるような体験をいまここで作っていけるかということが、すごく大事だということを2つの発表を聴いて思いました。学校というのは教科書も使わなければならない、学年の枠組みもある、でもその中での大事にしたいものをどう体験として提供していくか。キャンプは、学校ではないんです。でもそこで普段の言語生活を見た時に、この体験をさせてあげたいということで、自然の中で、自然が大事だってことで作ったもの。そこを体験というキーワードでくくってご発表いただきました。


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