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親は一人一言語の原則で接するべき?(201903セミナー15)

JMHERAT第15回セミナー
子どもを育てる、ことばを育てる

複数の言語・文化で育つ子どものリテラシーを考える


2019年3月17日(日)に終了した第15回セミナーの4回目の報告をします。今回は、最後のまとめとして行った全体質疑応答を報告します。



午後の部②質疑応答


<石野さんへの質問:国語辞典の使い方>

質問1:国語辞典で調べる癖付けをする工夫を教えてください。


石野:私が受け持っている高学年は国語辞典の使い方自体は既に学んでいますが、国語辞典を自ら使うかというと、そうではありません。国語の時間には必ず国語辞典を用意させています。子どもたちは残り時間を発表したり、カウントを始めたりすると急に動きが速くなったりします。また、何かがあったら埋めてみたい、競ってみたいという気持ちがあるので競うことをたくさんおこないます。例えば、1)言葉集めを班対抗戦でやる、2)「あ」の付く言葉等、指定をする、3)四文字で真ん中


に「ひ」が入る言葉等を指定する、などです。国語辞典をたくさん使えば使うほどゲームに勝てたり、みんなで協力すればうまくいくなどの体験をたくさんさせるように心がけています。国語の授業時間のうち2、3回は言葉についての質問をしながら学習を進めています。子どもたちにとって使っている言葉だが説明ができない言葉がたくさんあります。私自身も辞典を引き、子どもたちも辞典を引くというスタイルで一緒に活動をします。2、3人辞書が違うので、発表者を一人で終わらせずいろいろな発表の機会を与え、自分が調べたことを共有し、みんなに「はあー」と言ってもらえるような体験をたくさんさせるようにしています。



<嶋田さんへの質問:できる親とできない親と、その子どもとの関連性は?>

質問2:単純にできる親の子どもができが良く、できのあまり良くない親の子どもに課題が目立つという可能性はないですか?


嶋田:その子どもの親ができる親かできない親かは、私には判断ができないのですが・・ただ、1つ言えることは、『親が関心を持っているか、持っていないかの差』は本当に大きいと感じています。関心を持て、持てと言うが、日本語が得意ではない保護者は関心を持とうにも持てないために学校との距離が開いてしまっていると感じます。だからこそ、学校ができる支援として、親にも感心を持ってもらうという工夫が必要だと感じています。バンコク校に比べてシラチャ校では学校に親が来ることが普通の状態になっています。学校と親との距離が近いため、国際結婚家庭の子どもとの差が少ないです。私が担当をしているクラスにも日本語が苦手なタイ人のお母さんがおり、初めはなかなか来てくれませんでした。しかし、おそらく子どもが少しずつ変わりつつあるのがすごく楽しかったのか、全く分からないであろう懇談会に来てくれるようになりました。保護者同士での話し合いの場では、おそらく一言もしゃべらなかったが最後までいてくれました。そのぐらいの時期から子どもが明らかに変わってきています。これをみると、保護者が少しでも興味や関心を持つことと、子どもがやる気を持つこととなにかつながりがあるのではないかと思います。親のサポートは勉強ができなくてもいいと感じます。


深澤:日本人学校は私もバンコク校とシラチャ校、両方訪問させていただいています。シラチャ校に行って驚いたのは、校門へ子どもたちが入る時に親もどんどん入ってきます。タイ人の親も日本人の親もどんどん入ってきて、先生と挨拶して、子どもたちに手を振って帰るのです。嶋田さんは国際結婚の子どもたちのことを調査しており、「シラチャ校に行ったら問題が少ないんですよね」って言ってらしたのが、あのことなのかなと思いました。



<親のサポートはどすればいい?>

質問3:子どもはタイの学校に通っています。自分があまりタイ語ができないので子どもの学習サポートをどうしたらいいか不安です。


参加者:私の母はタイ人で、私は日本で育ったので、同じような境遇でした。宿題をする時に母は私が音読するのに合わせて一緒に音読をしてくれたり、近所のお兄ちゃんからもらった教科書や漢字ドリルを持ってきて、一緒にしてくれました。別に私は教えてもらわなくても、母がその場で一緒に時間をすごしてくれただけですごく幸せな思い出として今も残っているので、あまり気負わなくても大丈夫だと思います。


深澤:まず頑張っている子どもの横で共感してあげるということですね。



<親は一人一言語の原則で接するべき?>

質問4:子どもと接する時に母親が日本人なら日本語だけ話し、父親がタイ人ならタイ語だけで話す、といった一人一言語の原則にのっとった対応に関してどう思われますか。


体制としての学校の在り方と、家庭は同じではない


齋藤:バイリンガル教育の研究の中では一人一言語と言われています。実際にイマージョン教育を実施している学校の中では何曜日は何語とか、○○先生は何語というように決めています。それは、学校の教育目的としてバイリンガルを育てるというのがあり、それが教育的なゴールになっているからです。バイリンガル教育をうたい、イマージョンをうたい、うちでは徹底してやっていますという学校の先生が本来タイ語を話すべき時に英語を話したりしたら、「それはだめでしょう」と学校の経営側が言うべきですし、親御さんたちも要求していいと思います。学校にはカウンセラーがいて、そうした2言語の中で困っている子どもたちの心の面でのサポート体制があってこそできることだと思います。ですが、ご家庭の中でどうかと考えた時に、小さい子は愛着という言葉が出てきましたし、石野先生はお母さんが隣で一緒に座ってくれるだけで幸せだった、一緒に勉強に向かってくれるだけで嬉しかったとおっしゃるように、子どもの今の心の状態を見て、父親と母親が一人一言語を通すことがその子にとって幸せなのかというところで判断する必要があると思います。なので、バイリンガル教育で紋切り型に言われている言葉を金字塔のように守らなければいけないということでは決してないと思います


池上:一人一言語対応は理論がきちんとあり、理論的に十分成立します。それで成功するバイリンガリズムというものもあります。ただ、それは理論ですから、一つ一つの私たちの目の前にある子どもと自分の実態がどうであるかということで考えれば、そんなに拘らなくていいと思います。日本に住んでいる中国から来た家族の話です。父親と母親は子どもたちに中国語を忘れてほしくないため、子どもたちが大きくなるまでは家庭では中国語で話していました。しかし、子どもたちは日本語が上手になり、中国語を話すのが面倒になってきたため家庭の中で日本語を話すようになっていました。父親と母親は困り「どうする?」と考え、父親が一番日本語がへたくそだったので父親が帰ってきたら家庭では中国語を話すことにしました。兄弟どうしでは日本語で話しをします。父親が帰ってきたら中国語、それまでは日本語という場面での切り分けや、人に対する切り分けでもあります。父親は家庭の中で大事だから父親が仕事から帰ってきたら家庭の中では中国語を話す…そのように誰にどの言葉を使うのがいいか家族で選択をして話していたと聞きました。それは、今申し上げた理論としてのある部分は踏襲しながら、今の目の前の家族の事情にどのように適応したかという1つの例ということで話しました。



意見:自分の経験からいうとうまくいっている家庭というのは、お母さんが頑張って日本語を通してきた家庭が多かったです。自分の子どもが自分の国の言葉を話してくれないとさびしくなる。本人にとっても日本語が話せるということが非常に武器になる。ですから、私の感想からいくと、できれば一人一言語、頑張ってほしいと思います。


池上:親の言葉をどうにかして子どもに伝えたいという気持ちは継承語という意味でよくありますし、その気持ち自体がだめだというのでは全くなくて、でも、そこで生まれてくる関係性の中で、じゃあ、何を日本語プラスアルファの言葉を親と子どもが作っていくかということがとても大事なんだなというふうに思っています。


齋藤:蛇足ですが、お父さんが英語の人で、お母さんがフランス語の人で、おうちの中でお父さんは子どもに英語しか使わない。お母さんは子どもにフランス語しか使わない。そうすると、子どもは英語とフランス語を両方使って成長するので、英語もフランス語もできる子どもになるというのが理論ですよね。もちろん、それで(親は)一生懸命やっていたんですけれど、ある日、子どもが別のお友達の親に会った時に、え?どうしてなんとかちゃんのママは女なのに英語ができるの?(笑い)と言ったという。

子どもにとってみれば、そういうことなんです。だから、まだ小さい子どもは人間と言語、何々語という切り分けはそんなにできていなくて、ママという女の親はフランス語を話し、パパという男の親は英語を話すという世界だったんです。そうやって、そこから、そうじゃないんだなという人間と言語の判別ができていくんですけれども。そうやって子どもは自分が認識できる社会を創っていく。その中で、誰と何語を使うといいんだろう。誰に対しては何語が使えるんだろうということも一緒に学んでいくと思います


深澤:子ども達は必要に応じて使えるようにしていますよね。それから、午前中もちょっと話がありましたけれど、家の中というのは一番話したいことを話したい。聞きたいことを聞きたい、聞かせたい、分かり合いたい愛着関係が育つ場所。だから、そこでは混ざっちゃうというのが現実であろうと思います。それが、子どもが、大きくなって自分がこのことをやりたいと思った時に、それが日本語の世界で日本語でできるのか、英語なのかタイ語なのかということになってくると思います。家の中で私はタイ語しか使ってはいけない、日本語しか使ってはいけないということですと、コミュニケーションが取れなくなっちゃうということが起こってきます。苦しくなってしまう。そういうことが起こります。家庭言語というのは、昔は絶対混ざり言語はいけないと言われていたけれども、それよりも家庭で子どもにとって何が一番大切かっていうふうに考えていく必要があるかと思います。言語を育てるために家庭があるわけではないですよね。


複言語・複文化状況とは、家の中のことばも文化も混ざっているということだと思います。混ざっているから○○語と独立した言語体系が育たないということではありません。混ざった世界が、広く豊かで、子どもの将来の認知力の基盤になり、幸福感の基盤になることが重要なのではないかと思います。 次回最終報告では本セミナー最後のまとめ「くらしの中でリテラシーを育む」(齋藤ひろみ)「タイという環境の中でのリテラシーとは、育てるとは」(池上摩希子)、お二人のコメンテータのお話を報告します。


タイにおける母語・継承語としての日本語教育研究会(JMHERAT) 運営委員

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