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複雑さは豊かさ、ぶれは思考、そして日本人とはだれなのか?:言語マップ(201108WS01)

みつめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実

多言語・多文化から複言語・複文化へ タイで育つ子どもたちを、新たな豊かさへ繋げる視点


第1回複言語・複文化ワークショップ報告
アンケートより〈参加者の声〉

活動終了後書いていただいたアンケートから、この複言語・複文化ワークショップが参加者にとってどのような経験の場になったか報告します。


 
複雑でいいんだ

複雑なままでいいってわかって・・・・

  • 多くの学びの場でした。複雑なままでいいという言葉が印象的でした。(それが自分のアイデンティティ)(Nさん)

複言語だから豊かと思えて・・・

  • 「思考を支える言語が十分に育つのか・・・」子供が生まれ、タイに来てからずっと心をしめている不安でした。複言語だからこその豊かな思考もあるとの言葉にすくわれました。そういう考え方もあるのだ・・・と。思いを言葉にする機会をえて、はれやかな気持ちにもなれました。(Oさん)

 
親の揺れる思い

「ぶれ」続ける私たち

  • 国際結婚して海外に暮らす私たちは「必要以上に」日本語と日本文化を子供たちに伝えたいという気持ちが強いのではないでしょうか?それは自分自身の中の日本を伝えたいという事も、もちろんありますが、自分の親の期待に応えたいという面もかなり強いです。その辺、子供の問題というより、母親である私たちの中の「ぶれつづける心」の問題です。もっとそのあたりを話し合える場が欲しいように感じています。(Iさん)

「ぶれ」も「不安」も当然のこと

  • 不安があっていい、ぶれてもいい(うれしい言葉です)、他の人も同じようなことを感じながら、子供に接しているのですね。実感の伴う体験、言語に限らず、父親として子供にもっとかかわりをもっていきたいことです。(Sさん)

  • ブレたり揺れたりしてよいという言葉で心が軽くなりました。(Tsさん)

  • 自分もいつかミックスの子供の親になる立場ですが、頭の中であれやこれやと考え、特に不安の部分が多かったのですが、親として不安があるのはあたり前の事という事実や多くの仲間(今日お会いした参加者や講師)がいるということが分かり、とても安心しました。(kuさん)

「ぶれ」てもいい、思考停止がいけないのだ

  • ワークショップ終盤で「ぶれない」という話がありましたが、その「ぶれない」が「考えた結果、腹をくくる」というのと「最初から思考停止で切り捨てる」という2種類のパターンを表現しているような気がしました。(Eさん)


「ぶれる」「ぶれない」当日の話し合いでたびたび出てきた言葉です。それについてのEさんの言葉に、なるほどと思います。腹を括りつつ、考えを止めず、考えを更新させ続けたいものです。 (ワークショショップ実行委員)


 
思いの共有、ともに考える意義

  • 自分ひとりでいろいろ考えていたのですが、みなさんの考えや意見を知ったり共有したりするだけで楽になりました。また自分のことをふり返るきっかけにもなったと思います(Uさん)

  • 皆さんのいろんなご意見(不安や肯定的意見)を共有できて、ちょっとした指針が見えた気がして気分的にすっきりした感じです。(Rさん)

  • 自分の考えを話す事や他の方の話を聞く事により、より自分の中の考えがはっきりしたり、思ってもいなかった事に気付いたり本当に楽しい時間でした。(Sさん)

  • 色々学ぶ事が多く大変為になりました。特に幼稚園などの教育関係者の参加(発言)が多く、教師の立場からの視点をうかがい知る事が出来、良かったです。(Koさん)

 
これからに向けて
  • 自分自身の価値感と子供の価値感の違いを、どのようにうめていけばいいか考えるキッカケになりました。(Wさん)

  • いろいろな環境にいらっしゃる方のお話を聞けて、とても興味深かったです。日本人両親であり、いずれ日本人として生活していかなくてはならない娘にとって、日本も早く複文化・複言語を認めてくれる社会になってくれると良いなとつくづく思います。(Gさん)

 
日本人とはだれなのか?
  • 今回の「複言語・複文化」の考え方は、大きな刺激と発見がありました。ワークショップを経験した後、日本人学校は、日本人のための学校なのだろうか?それとも、日本人を作る(言い方はおかしいと思いますが)学校なのだろうか?日本人(日本の国籍を持つ子)しか入学することができない学校なのか?(中略)しかし、必ずしも、入学できる子の親のどちらかが、日本人である必要もないのかと感じました。例えば、西洋人の夫婦の間に生まれ、日本国籍はなくても、日本で生まれ育った子どもであれば、日本人学校で学ぶことができるはずです。反対に、日本人の両親でも、タイで生まれ育ち、タイの文化や習慣、教育に関心があれば、タイの学校で学ぶことができるでしょう。そう考えると、○○人という考え方自体が、よく分からなくなってきました。一個人を○○人という枠で、くくる必要もなくなってくるように感じました。(Tさん)

 

インター校の教師である参加者からも「次の日学校に行って、目の前にいる子どもたちを日本人、○○人っていうことに意味はあるのかと思った」と感想が寄せられました。Tさんの言うように今までの枠で子どもたちを捉えていいのか?と、これまで当然と思っていたことから問い直す。そこに子どもたちの新しい未来が見えるのではないでしょうか。 (ワークショショップ実行委員)



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