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「日本人」としてではなく「私」として家族と関わる(201502保護者勉強会02)

第2回保護者勉強会  日時: 2015年2月14日(土)9:30~12:30  場所: J-Education ジャスミンシティビル27階会議室  参加者:深澤先生・父A・父K・父S・中川(大学院生)  トピック:1 母語とは?       2 家族の中での日本人としての立場       3 父親と子どもの関係       4 勉強会で得られること


今回は偶然にも「パパ会」となり、また人数が少なかったためそれぞれのお父さんのお話をたくさんうかがえる勉強会となりました。この議事録は、3名のお父さんに勉強会後の感想を書いていただき中川が編集、そこに深澤先生の解説を加えていただく形でまとめてあります。

なお、他にも「奥様へのプレゼントは何が良いか」(国によって喜ばれるものは違うようです。また、そこからその国の社会の形が垣間見えました。)「タイの国語教育はどうなっているんだろう」「タイ人学校に決めた理由いろいろ」など、大変興味深い話題がたくさんありましたが、本議事録では、参加者に特に強く印象に残ったと思われるトピックのみまとめました。

 

1 母語とは?

「母語とは、その子どもの母親の言語である」という考え方は間違っているのでしょうか?

そもそも「母語」とは「母国語」「第一言語」とは何かについて、資料を見ながら考えました。その中で、「母語」には様々な定義があるが「母親が話す言葉」という切り口はあまり無い、という指摘が参加者から出ました。「母語とは何か」については次回、第3回勉強会でも引き続き学習する予定です。


■父S■

まず一つの言語を確立したいと考え、一番子供と接する時間が多い妻の使用する言語を子供の言語にしようと考えていました。ですが、環境の変化に伴い、「一番接する時間が多い人」が使用する言語と共に様々に変化してし まいます。それでは子供が混乱してしまうのでは、と悩んでいましたが、先生から「(母、父、祖父母、メイドなど色々な人が 想像される中で)養育者は複数でもいいのではないか。」というアドバイスを頂き、言語に執着するあまり、養育者を限定しようとしていたこと、複文化・複言語環境の中で、何語で接するか以前に、どのように接するかが大事だということを再認識いたしました。



2 家族の中での日本人としての立場   

「時間の感覚や礼儀、日本の価値観も正直子どもには教えたい」

時間を守ることや、礼儀、批判的に物事を見る力や文章をまとめる力、読書の習慣… いわゆる「日本のマナー」や「日本の教育で得られること」も捨てがたいという話題が出ました。そしてそれを子どもに教えるのは、家族の中の日本人である自分だという意識が、お父さんにはあるようです。


■父A■

子どもの洞察力:子どもに「なぜ?」と問いかけることにより、子ども自身で考える力を伸ばすことにつながるとの話も出ました。ついつい親が回答を与えてしまいがちになるし、また特にタイの学校教育の方針は先生が教えることを生徒がそのまま覚えるといった受身の授業が多いと聞いています。常々子どもに考えさせるよう意識して、子どもに接したいと思います。


「日本を背負う必要はない、『わたし』の意見でいい」

■父A■

日本人としての立場 :「日本を背負う必要はない。日本人としてではなく個人としての『私』の意見で大丈夫」深澤先生のこの言葉にはっとさせられました。タイに住んでタイ人と一緒に暮らしていると、何とか日本の良い所を伝えよう、日本人としての美徳は自分が子どもに教えなくてはならない、日本だとそんなやり方ではダメだと、過剰に「国」を意識していたような気がします。日本の代表になんてなれないんだ、個人としてあるいは1人の父親として自分の思うことを家族に伝えるだけでいいんだ、むしろ個人の意見の方が受け取る家族にとっても理解し易いんだと考えると非常にすっきりとしてコミュニケーションが取りやすくなりそうです。

またダブルである息子のアイデンティティーに関しても、国籍にとらわれない母国語にとらわれない個人として独立した人間になれるよう育ててあげて行きたいと思います。


■父S■

日本帰国予定は未定ですが、子供を「日本人として」「日本人らしく」育てたいという気持ちが強かったです(考え方や礼儀、風習、行事などなど)。しかし、先生のアドバイスや他の方のお話で、「日本人らしく」ではなく、「自分がやっているように、望んでいるように、期待しているように」だと、気づかされました。妻は「日本風に育てる」ということにある程度の理解を示してくれていますが、それは「私風」だから、受け入れてくれたのではないかと、気づかされました。「日本を背負わなくていい」という先生の言葉が心に響きました。


3 父親と子どもの関係

「国際結婚のお父さんのほうが、子どもについて考える時間が長いので、それは子どもにとって幸せかも」

国際結婚のお父さん、あるいはご両親はお子さんについて悩むこと・手をかけることが、いわゆる普通の家庭より多そうだな… ダブルの子はもちろん苦労が多いけれど、その点では普通の子より幸せなのかもしれないというコメントが参加者から出ました。


■父K■

「将来、子供たちの言語環境が変わっても、(例えば高校からインター校へ行くなど)子供時代の楽しい幸福な体験の記憶によって、辛い時を乗り越えられること。」この点、自分は子供が幼稚園に入った時から学校の行事、連絡事項を日本人の母親と同じようにやろうと今まで一生懸命生きてきたつもり・・・自分はストレスを感じながらも、どこかに自分は頑張っているみたいな自負心を抱きつつ日々を家族のために生きてきたつもり・・・。よく考えてみたら、特に上の子とは、自転車の乗り方を教えたり、いっしょにキャッチボールをしたり、読み聞かせをしたり、自分自身が持っているお父さんとの楽しい記憶が、自分の子にあるのだろうか、という疑問が生じた。

 今から間に合うかわからないが、自分の父親としての立ち位置を少し変えて、妻の立場から、子供の立場から家族に対する自分の存在意義を見直してみたい。最後に参加者から、日本人の父母を持つ家庭のお父さんよりもダブルの子を持つお父さんの方が、子供たちのことを考えて接しているのではないか、との意見を頂き救われた思いがした。


■父A■

家族との時間:国際結婚のお父さんは普通に日本で暮らしているお父さんよりも子どもと向き合う時間が長いという話も出ましたが、これにも自分の生活を振り返って考えさせられました。駄目パパである私は良パパであるKパパやSパパほどではありませんが、それでも教育に関してかなり頭を悩ませてきました。国際結婚のため妻とは育ってきた環境・常識も異なり、細かなことからコミュニケーションをとって家族内で意見交換をする必要があったからだと思います。日本人よりもケンカも多くなるが色々な経験も出来る「ダブル」な国際結婚の利点だと思っています。


4 勉強会で得られること

「人の話は客観的に聞けるんだけどなあ!」

人の話は冷静に聞いて意見をもつことができるのだけれど、自分のこととなるとどうも視野が狭くなってしまうという話題で勉強会は終わりました。勉強会では知識や専門家の意見も得られますが、他の参加者のなまの話を聞くことも、実はとても大きな収穫になるようです。


■父K■

ダブルの子を育てる日本人の父親として勉強会に参加させて頂いているが、セミナー、勉強会等へ参加するたびに、自分自身のものさしで家族と接し自己満足していたのだと気づかされる。前回の勉強会でも、別の家族の事例では冷静かつ客観的に見れるのに、自分のこととなると国際結婚をした当初からの「日本語の教育、学校のことは自分がやればいい」という自分の決意みたいなものに呪縛され、思い込みの階段を上り続けていたのだ。勉強会では参加者との意見交換やケーススタディを通じ、そのような自分の中の誤解、悪循環に気づかされ、自らの行動に影響力を与えられている。


■父A■

日本語研究会の意義:色々な事例を聞かせていただき討論することにより、新しい考え方や物の見方を得ることが出来て非常にためになっています。自分自身のことだとなかなか冷静に判断できない場合が多いのですが、他人の事例には外から見ているため割と的確にコメントを出すことができます。それが自分自身を振り返る良いきっかけとなっています。お父さん同士の情報交換もさることながら、女性からの視点・意見を聞くことが出来る貴重な場にもなっていると思います。


■父S■

自らが複文化・複言語環境にいながら、子供を無理やりその環境から遠ざけようとしていたことに気づき、自分自身の複文化・複言語の理解が薄弱であったことを反省しております。勉強会では様々な事例やアドバイス、失敗談?などもお聞かせいただき、具体的で大変助かっています。ここでは書ききれませんが、たくさんのアドバイスありがとうございます。


 

以上が、2回目勉強会の後で3人のお父さん方から送られてきた「気づきと感想」です。


 Sさんは数か月前にパパになったばかりです。英語、日本語、タイ語の3言語環境で子育てをすることになるSさんは「言語に執着するあまり、養育者を限定しようとしていた」といいます。養育者のことばが母語になるはず。母語を特定できなければ子どもは混乱するだろうと考えていたわけですが、子どもは次第にお母さんのことば、お父さんのことば、となりのおばちゃんのことばという風に整理していきます。何より大切なのは沢山の人にたっぷり声をかけられ、愛情を向けられることでしょう。「きちんと」より「たっぷり」が大切。何語、というより最も感情の籠ることばで話しかけられて子どもの心は育っていくと思います。

 それにしても気が付かないうちにお父さんは日本を背負っているんですね。でも実は日本を背負い、自分の価値観を「日本は」とひとまとめにして語っていたそのことが問題だったと感じています。今回これが3人共通の大きな発見でした。「日本は‥」ではなく「個人として、1人の父親として自分の思うことを家族に伝えるだけでいいんだ、むしろ個人の意見だからこそ伝わる。」というAさんの指摘はとても貴重だと思います。日本を背負った親は子どもに日本を背負わせてしまいます。でもそういう日本も日本人も実はイメージでしかありません。イメージは勝手にどこまでも膨らみます。そして、複言語・複文化で育つ子どもたちはそのイメージにはすっぽり当て嵌まるわけではありませんから、自分の置き所を失い、自分は何者かと不足感でいっぱいになります。「日本は」ではなく「私は」と個人の文化観で語ることが大切だと思います。「むしろ個人の意見だからこそ伝わる。」私もそう思います。個人として対するからこそ、子どもも「私は」と自分の思いや考えをことばにすることができるようになるのです。

 それにしてもお父さんたちは責任を果たそうと本当に努力しています。Kさんは人一倍頑張ってきました。頑張っている自分に自負も持っていました。でも責任感に「呪縛」され「自分自身が持っているお父さんとの楽しい記憶が、自分の子にあるのだろうか、という疑問が生じた。」と書きます。勉強会中もさかんに、妻の気持ちも子どもの気持ちも本当に考えてきただろうか、こんなに頑張っていると自己満足していたのではないか、とKさんは書きます。人一倍頑張った本人の実に重い振り返りの言葉です。

 こんなに考え悩んでいるお父さんの姿に中川さんから「子どもの立場として父親がこんなに考えてくれているなんて羨ましい」と発言がありました。この言葉にお父さんたちは一斉にホッとした様子でした。こんなに努力している、この努力を「子どもと一緒に自転車に乗るとか、子どもに直接向かうべきだった」とKさん。「今からでも間に合うかわからないが」といいますが、Kさん、遅いということなんてありません。私は子どもを育てたことがありません。でも子どもでした。中川さんが羨ましいというように、遅いということなんてない、と子どもとしての経験から思います。

 3人のお父さんからとても深い内容の勉強会感想が送られてきました。対話することで、私たちは自分の気持ちや考えにやっと辿り着けます。「複言語・複文化からむしろ子どもを遠ざけていた。」というSさん。Sさんほど聡明でも、一人で考え続けているうちに何かに縛られて見えなくなります。私たちはなかなか自分一人で自分を見つけることができません。対話の貴重さをつくづく感じました。次回、私たちは何に気付けるのでしょうか。楽しみにしています。


深澤伸子


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