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子どものことばとアイデンティティは人との関係性の中でこそ育まれる:関係性マップ(201508WS03-1)

みつめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実

タイで育つ子どもたちを新たな豊かさへ繋げる

複言語・複文化の視点 第3弾



2015年8月22日に終了したワークショップの報告をします。当研究会では舘岡洋子氏をお招きし、2011年から複言語・複文化ワークショップを開催してきました。本年はその3回目。今回は言語と人との関わりを振り返る関係性マップを作成しました。


■ワークショップ・当日の活動の流れ


■関係性マップの書き方 今回のWSでは言語使用状況と人との関係性を視覚化しようと試みました。


◆言語と人を色で示します

◆人との関わりは線の太さで表します

関係性マップの内側から毎日、時々、たまにと会う頻度を示し、一番外側は国外にいる場合などを示します。関係の濃さ強さは線の太さや線の種類で表してもらいました。例えば、毎日会う家族でも実線でなく点線で結ぶなどです。


■自分マップの作成

実際に作成した関係性マップを紹介します。 まず自分自身の関係性マップを作成しました。


《作成した大人の関係性マップの例》

様々な文化背景の人と2言語以上の関わりがある。 タイの人と日本語を使う、あるいは英語圏の人とタイ語を使うなど、 互いの母国語ではない言語で関わっている場合もよく見られる。 また、同じ人とタイ語と日本語など複数の言語を使用している。


《自分の関係性マップを解説しているところ》



























■子どもの関係性マップの作成

次に子どもの関係性マップを作成しました。 保護者は自分の子ども、教師は担当している子どもの関係性マップを作成しました。 大人になかったオレンジ色は自分と同じ背景の子ども同士の関係を見るためです。子どもの関係性マップの例を紹介します。


①日系幼稚園に通う5歳男児。日常の関わりに固有名詞がたくさん出ている。関係性マップによっては「幼稚園の友達」「学校の友人」と集団との関わりしかない場合がある。また年齢が低い子どもほど最初の輪(日常)に固有名詞が現れるかどうか、子どもによって違いがでる。






②両親は日本人。日系幼稚園と夕方のタイの保育所に通う4歳男児。両親の使用言語と子どもの使用言語が同じわけではない。言語世界は混ざり合い、重なりあっているため言語境界は実際はないだろうと思われ、点線になっている。








③インター校に通う11歳女子。言語によって世界は区切られていない。この子どものようにタイでインター校に通う子どもは3言語以上の言語環境にいる子どもも多い。メイドさんとの関りはタイならではの環境であろう。









■子どもの関係性マップを1枚選んで話し合う 気がついたことをカテゴリー化し名前をつけました。子どもの関係性マップの中からみんなで考えたいものをグループで1枚選んで気づいたことをまず自分のメモとして書き(気づき1)次にポストイットに書いて貼りだし、カテゴリー化しました。 例を二つ紹介します。


①日本人学校に通う男子(8歳)父:タイ 母:日本














②日系幼稚園に通い、夕方タイ語の保育園に通う女児(5歳)父:日 母:タイ














■関係性マップの共有 カテゴリー化したあと、参加者全員でポスターセッションし、共有しました。

①質問する参加者











②質問に答えるグループ担当者











■気づいたこと 子どもの関係性マップをかいてから、グループで1人の子どもの関係性マップを選びました。その時に自分が感じたことを「気づき1」としてメモ書きし、他のグループの子どもの関係性マップ共有の後、気づき2を書いてもらいました。その中からいくつか紹介します。

■まとめ 複言語・複文化の可能性(舘岡洋子)

何%であれ、全てがリソース 会場から出た「家庭内共通言語は必要なのか」が話題になりました。「家族の共通言語の確立は絶対必要」と強く主張する人がいる一方「一つの言語でやれるのか?いろいろミックスしてコミュニケーションをとっている。それが現実なのではないか。」という意見がでました。舘岡先生からは、「〇〇語が100%できなくても何%であれリソース。そのすべてを混ぜてその人のリソースと考えるのが複言語の考え方なのではないか」と話があり、トランスランゲージングの話へと進みました。

 

トランスランゲージングについて


舘岡:ガルシアという学者が発表したものですが、言語を一つ一つみず、言語を国家と切り離して考えます。つまり日本(国家)なら日本語(言語)というように結びつけ、バイリンガルの場合も、英語と日本語ができるというように二つの言語が独立したものと考えられていますが、そうではなく、ことばはごちゃごちゃまざった一つのシステムであるという考えです。だから〇〇語と〇〇語と〇〇語が混ざっているのがその人の一つのシステムだと言っている。  そういう見方で見るとダブルリミテッドという見方はない。ダブルリミテッドはあるべき姿があってそれに達していない、だから両方できないということになりますが、ちょっとずつ全てが、全部その人のもの、その人のリソース(資源)だと言っている。リソースフルな人間になるということが人間として豊かなことで、考え方としては国家と結びついた○○言語という見方をやめようということです。  ガルシアは今この移動の時代であったら(私たちは)国家間を移動している。だから、移動している人達の言語活動を考えようということですが、今日の話を聞いても、本当にそうだなあと思いました。  そういう考え方をすると、ある言語からある言語へコードスイッチをする、そういう話ではないと思います。私は完璧なモノリンガル人間なのですけれども、日本語も色々ある。何々語もいろいろある。それが全部混ざったのがその人なのだという考え方だと思います。


※トランスランゲージング資料(MHB紀要11号に掲載) http://mhb.jp/archives/507 川上郁夫(2015)「ことばの力」とは何かという課題『日本語学』10月号pp56-61

 

■参加者の感想

  • 自分の家族の言語環境を客観的に見直す良い機会となったと同時に、様々な家庭の事例を知ることができ、色々と考えることができた。(Mさん・保護者/学校教師)

  • 貴重な場でした。生の声をたくさん聞けました。今後、子供たちの言語環境、また親御さんの気持ちも知ることができました。(Uさん・日本語教師)

  • 関係性マップは新しい視点で物事をとらえられて、参考になりました。(Yさん・日本語教師)

  • 家族がそろった時の共通言語がないと心配されていたが、子供が通訳してあげたりしてコミュニケーションをはかり、自分の役割があって、自信につながれば良いと思った。(Nさん、保護者)

  • あっという間でした。4時間が短いと感じました。(Aさん・保護者 他)


■これからのこと

「家庭内共通言語は必要なのか」を継続テーマとして9月の勉強会で取り上げました。 「家庭内共有語」と「家庭内共通言語」は同じでしょうか?先にアップした保護者勉強会報告をご覧下さい。今後もテーマとして継続して取り上げ、複言語・複文化の子どもがリソースフルであることはどういうことか考えていきます。


■舘岡洋子氏からのご感想

 私がこの複言語・複文化のワークショップに参加させていただくのは、今回が3回目です。毎回、思うのは、この場自体が貴重なリソースフルな場だということです。自分自身はモノリンガルの世界に住んでいますが、いつもの自分の生活からは想像もできないような世界に住んでいらっしゃる方々がこの場に集まっていて、刺激的なお話を聞かせていただきます。タイ語と日本語のバイリンガルのお子さんばかりでなく、両親の共通語がタイ語でも日本語でもない、たとえば、英語の場合も少なくありません。また、タイ人ではなくフィリピン人と日本人、インドネシア人と日本人などのカップルもいらっしゃるので、英語を含め4つの言語が関係しているご家庭もあります。まさに国際都市バンコクならではだと感じました。

 そんな中で、「家庭内での共通言語は必要か」といったことも話題にのぼりました。家庭内でいくつかの言語を使いながら、家族共通の話題や経験がもてればいいのではないか、という意見がある一方、1つの共通言語を家族が持っていることが重要だという意見もあって、これには単純に答えを出せないなと感じました。きっとご家庭の背景や歴史によって、何がベストの選択なのかは変わってくるのでしょう。また、ひとたび選択したからといって、ずっと同じではなく、状況によって変化するものでしょう。そもそも、いろいろな事情から、自由に選択すること自体が難しい場合もあるでしょう。

だからこそ、このようなみなさんの豊かな経験をもちよる場が重要な意味をもっているのではないでしょうか。多様な経験がいっぱい詰まったこの場こそがそこに参加するみなさんたちの羅針盤であり、勇気の源でもあるのだと思います。

 また、関係性の中でこそ、ことばが育まれるということも、今回、再確認いたしました。親であっても接触が少なく、アヤさんと多くの時間を過ごしていれば、こどもにとっての第1のことばがアヤさんの使うタイ語になることはいうまでもありません。どんな友達と、どこでどんな関係を取り結んでいるのか、それによって、多様なことばが生まれてくることが関係性マップから見えてきてとても興味深いものでした。


■ワークショップという活動

WSでは皆さんに知っていただくべき「答え」があるわけではありません。ですからすっきりした気持ちで帰る、というより疑問をたくさん抱えて帰る人の方が多いかもしれません。目指すのは共に作業し対話することで、考え、揺さぶられ、一人では気づかなかった何かに気づくこと。それが、研究会の人間も含めて関わった全ての人に起こることを願っています。これからも一緒に考えていけたらと思います。


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