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1.日本語はお父さんと話すためのことばだった(201305勉強会03)

複言語・複文化を生きる親と子の思い

−経験を語る、経験を聞く−


タイで生まれ日本人学校に通った

Kさんの思い(母タイ・父日本)


第1回報告

Kさんは現在28歳。日本人の父、タイ人の母のもとタイで生まれタイで育ちました。家族は、弟と妹の5人家族です。家では、父親とは日本語、母親とはタイ語でした。幼稚園から日本人学校で学び、高校はタイの高校の英語で学ぶインターコースに進学。大学も英語で学べる学校へ。卒業後は様々な職種で経験を積み、父親が始めた事業を現在、新規事業開拓中です。 タイ語と日本語、そして英語の3つの言語で育ったKさん。Kさんの成長の軌跡をこの3つの言語との関わりを軸に語って頂きました。その語りには周囲の人々との関係とことばの密接な関係が見えます。 Kさんの話を3回に分けて報告します。

 

Kさんと日本語を巡るストーリー:幼少期から中学まで


幼稚園から中学まで日本語の学習環境にいたKさん。Kさんはどんな思いで自分の日本語を捉えているのでしょうか。一回目の報告はKさんの日本語についての語りです。

日本人幼稚園に入っていて、幼稚園ではずっと日本語で話していました。でも、小っちゃい頃言われたのが、タイ語を話していたんだけど、日本語の文法になってたよ、って言われた事はあります。タイ語と日本語はどっちのほうが出来てたっていうのは、わからないです。家では、小さい頃から父との会話するときの言語は『絶対日本語!』という風にやられました。タイ語で話すと、話しかけても、話してくれない。タイ語で父と話すと逆に叩かれたり。でもやっぱり父さんと喋りたいから『絶対父さんとは日本語!』で頑張って喋りだす。あそこで、僕がタイ語喋ってたら、父のタイ語がぐっと伸びていて、自分が日本語できなくなっていたと思います。

家では日本語とタイ語で育ったKさん。Kさんに対しお父さんは厳しく接した。日本語はお父さんから強制されたことばだったのか。


日本語はお父さんと話すことばだった

小学校に入ってからも厳しい父でしたが、父が仕事から帰ってくるとやっぱり話したいと思ってました。父は忙しい中でも私とよく遊んでくれました。大人の目線ではなく、子どもの目線で一緒に遊んでくれたっていうのを覚えています。当時は今みたいに日本のテレビは見れなかったので、父さんが毎週ビデオを借りてくれて日曜の夕方必ず一緒に見てました。ビデオを一緒に見るだけでなく、絵本の読み聞かせやカードゲームや麻雀もしてくれました。一緒に遊んでもらう中で日本語の文法とか、話すリズム、音、例えば箸と橋の違いとか、そういう言葉は説明してくれましたね。これ、似たような言葉だけど意味違うよ、とか。もう少し大きくなると、母が勉強、勉強ってなるんですね。勉強しなさい!と厳しくあたってくる母に対して、逃げ場が父さんだった。厳しい時はすごく厳しい父さんですけど、母と比べると、いつも厳しい母さんと、時には厳しい父さんがいて、っていうバランス。それで、父さんと話をしたかったというのがありましたね。

日本人小学校に入った頃の日本語についての語りは学校ではなく、お父さんとのエピソードからから始まった。Kさんにとって日本語は勉強のことば、というよりお父さんと話すためのことばとして強く意識されていた。話したい相手が父親だった。中学に入ってからはどうだったのだろう。


とにかくお父さんと話したかった

中学に入り反抗期の頃に僕と母さんの関係は上手くいってませんでした。父さんはいつも夜遅く帰ってくるんですけど待ってました。父さんは夜中2時くらいに帰ってきて、ヤムウンセン買ってくるんですよ。で、一人でウイスキー飲んでるのが毎日なんですけど、その時間まで待ってて、一緒に食べてた。そこでなんか、話をしたりとかした覚えがあります。父さんっていうのは、何かあったら話したい人。母親と話せない分、誰かに聞いてほしい。ということで、一番近いのがお父さん。

厳しかった父、でも叩いたのは父自身の手

父親は実はこう叩くんですよね。直接叩かないで、だめでしょ、ってこう(子どもに自分の手をあて、その手を叩いたお父さんのやり方を再現。)何となく悪いことなんだな、っていうのは分かるんだけど、痛くない。そういう感じの厳しさで僕ときょうだいたちに接していました。

父親は「絶対日本語」と厳しかったが、実は叩いたのは父親自身の手だった。Kさんの日本語をめぐる語りはお父さんとのエピソードを中心に語られた。厳しかったが、何より自分に身近な存在だったお父さん。日本語はKさんにとって学習ためのことばではなく、父と関わりたくて使うことばだったのである。


 

Kさんのお話、一回目の報告は【Kさんと日本語を巡るストーリー:幼少期から中学まで】を紹介しました。次回、第2回報告では、日本人学校から英語コースのあるタイの高校に進学したKさんが、新しい言語環境をどう生きたのか【Kさんとタイ語、そして英語】として報告します。


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