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子どもの語り「絵の具を混ぜたように混ざっている」「 ハーフとしての葛藤を乗り越えた時にくるプラスに気付けるワーク」:言語マップ・言語ポートレート(201709WS04)

みつめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実


タイで育つ子どもたちを新たな豊かさへ繋げる

複言語・複文化の視点 第4弾


 わたしを描く

 ―言語マップで何が見えるか―



《子どもたちの報告》 複言語・複文化を生きる子どもたちの語り


「絵の具を混ぜたように混ざっている・・・」

これは9月3日のワークショップで、自分の頭の中の言語を説明した子どものことばです。 第2回報告では、子どもたちの描いた言語マップと言語ポートレートを紹介します。そして子どもたちの語りを動画でそのまま紹介します。子どもたちはどんな経験をし、何を感じているのでしょうか。

 

言語マップと言語ポートレートの紹介


言語マップは自分の言語経験を描くものです。自分の言語使用経験を可視化し、複言語・複文化を生きる互いの経験を共有することを目的にJMHERATで開発しました。縦が言語使用場面、横が経験の時間軸です。言語は色別にタイ語(青)、日本語(ピンク)、英語(黄緑)、その他の言語(黄色)です。


また、今の自分を描くために「言語ポートレート」(Busch 2012、姫田2013、尾関2015)(注) を使用しました。自分と言語の関係、文化的影響も含めた自分を描くものです。言語ポートレートも同じく言語を色別に描きました。

 

子どもの描いた言語マップ −移動による大変さ−


・言語マップ活動の流れ   1 自分マップ作成+「大変だったこと」シール貼り   2 ひとりひとりマップ・「大変だったこと」の解説   3 「大変だったこと」をポストイットに書き出す   4 壁に貼り出して全体共有


・子どもの言語マップとプロフィール 子どもたちの描いた言語マップと子どもたちの簡単なプロフィールを紹介します。


ARISA(17歳・女性) インターナショナル校12年生。父:日本、母:タイ、兄弟はいない。タイで生まれてタイで育つ。日本での生活経験はない。半年ほど現地の幼稚園、その後日系幼稚園に通い、日本人学校入学。高校はインターナショナルスクールに進んだ。日本人学校に入った時、インターナショナルスクールに進んだ時、一気に言語が変化し大変だった。




YUUKO(14歳・女性) 日本人中学校3年生。父:日本、母:タイ、妹が1人いる。タイで生まれ、現地の幼稚園に通っていた。父親とはタイ語で話していた。4歳から日系幼稚園に通うことになったが、日本語は父親の話す「行こっか」しかわからなくて大変だった。小学校は日本人学校に入学しそのまま中学部に進んだ。





MIKU(19歳・女性) タイの国立大学日本語学科2年生。父:日本、母:タイ、兄弟はいない。日本で生まれて5歳まで日本で暮らしていたが、6歳の時に父親と別離。母親とタイに移動した。小学校、中学校、高校とタイの現地校で過ごしている。「ハーフだが日本語が上手ではないので、お父さんと話さないのかと言われてしまう。」英語が得意。




TAKANORI(20歳・男性) タイの国立大学日本語学科2年生。父:日本、母:タイ、兄弟はいない。タイで生まれて、3歳までタイで過ごす。その後、4歳から5歳は日本、6歳から7歳はタイ、8歳から12歳は日本と、移動を繰り返してきたが13歳からタイで暮らしている。日本人の父親とは別離。環境が変わった時は大変だった。「今はいちから日本語を学習中。」




JUN(23歳・女性) 日本の大学4年生。父:日本、母:タイ、弟:1人。日本で生まれてから短期でタイ・日本と移動を繰り返し、9歳から17歳までタイ。17歳から現在まで日本。タイに来たときは9歳だったが1年生に編入。親は日本にいたため現地校の寮で暮らした。17歳で日本に戻ったが、日本語をすっかり忘れていたため大変だった。必死で日本語の学習と受験勉強を頑張り、普通入試で日本の大学に入学を果たした。就職も決まり卒論に取り組んでいる。


MALIKA(17歳) インターナショナル校12年生。父:日本、母:タイ、姉:1人。タイ生まれ。幼稚園は祖母の元で家族と離れ1人日本の幼稚園に通う。小学校入学と同時にタイへ戻ったがタイ語がわからずタイ人の母親と話せず大変だった。小学校、中学校は日本人学校に通い、高校はインターナショナル高校に進んだ。英語の補助授業なしで通常クラスに編入できた。大変な時いつもが姉が助けてくれた。



子どもの描いた言語マップの特徴として、大人の描いた言語マップと比べて移動により一斉に言語環境が変わり、そこで一気に「大変だったこと」の印が現れていることが挙げられます。 では、子どもたちはどのようなことが大変だったのか、ポストイットに書かれた大変だったことを一部ですが紹介します。

 

・子どもたちの「大変だったこと」(一部)


言葉の問題

  • 授業の時、「なんでタイ語も日本語もわからないの?」とみんなに言われた。

  • 幼稚園でいきなり日本語。泣きました。

  • タイ語が全くできないのに、タイ語だけの環境だった。

言葉とアイデンティティ(様々な決めつけ)

  • 「何で日本人なのに日本語ができないの?」とみんなに言われた。

  • “タイのハーフ”のはずなのにタイ語が出てこなくなってきた。

  • (日本で)タイ語を話すことが恥ずかしかった。

  • 嫌いな言葉は「タイ語と日本語どっちが好き?」

周りの人たちとの関係

  • 日本語ができなくて友だちがつくれない。(日本人学校で)

  • 家族とのコミュニケーションができないことが悲しかった。

  • 日本人の友だちと遊びに行くと、タイ語と日本語ごちゃまぜ。ボーッとしていると、みんなが何を言ってるのかわからない。


子どもの描いた言語ポートレート 

−複言語からトランスランゲージングへ−


言語ポートレート活動の流れ

  1. 言語ポートレート作成

  2. 自分の言語ポートレート紹介

  3. 壁に貼り出して全体共有、話を聞きたい言語ポートレート選択

  4. 全体発表

・子どもの描いた言語ポートレートとキーワード

「今の自分」を語るために各人が言語ポートレートを作成しました。ここでは、子どもたちの描いた言語ポートレートと発表の様子を紹介します。



TAKANORI(20歳・男性)

日本語が上手になりたい僕

耳も、日本語が下手なので、よくなりたいから、漫画とか、いろいろな歌とか、毎日勉強しています。


日本語にもタイ語にも英語にも感じるプレッシャー

肩は日本語が下手なのでプレッシャーがある。タイ語も一緒です。英語も。


タイ人とも日本人とも感じる僕

心は私はタイを感じる時もあります。日本を感じる時もあります。でも、ハーフになって誇りに思います。






 

ARISA(17歳・女性)


ぐちゃぐちゃな喉

言いたいことをその言語で言えないっていう気持ちです。日本語でこの言葉を言いたいのに見つからなくて、みたいな感じです。


英語、タイ語、日本語、それぞれの言語にプレッシャー肩のところは、3つの線になっている。これは英語、タイ語、日本語とそれぞれの言葉を話した時に感じるプレッシャーです。


タイも日本も同じ割合で大切なハーフの私

心は、わたしはハーフなので、どちらも同じ割合で大切に思っています。







 

JUN(23歳・女性)


場所によって変わる言語

日本にいる時は頭の中は日本語になるのでタイ語があまり出てこないし、タイでは脳みそがタイ語になるので日本語が出てこない。


インプットされた時の言語でアウトプット

頭は基本的に日本語だけど、かけ算とか数字とか小学校レベルの知識はタイ語で考えています。

ハーフだというプレッシャー周りの人からハーフだと必然的にいろんな文化に対応できるよね、っていうプレッシャーがあります。


ことばに感じるもどかしさ

左手のほうは読み書きにしたんですけれども、タイ語も日本語もどっちも100%ではなくて、どちらも70%から80%ぐらいなので、結構もどかしい。


 

YUUKO(14歳・女性)

絵の具を混ぜたように混ざっていることば 頭の中では、国別に分かれてなくて絵の具を混ぜたようになっていて、でも、話すときは(国別に)日本語も出てくればタイ語も出てくるし、英語もちょっと出てきたりします。

いろんな視点で見る目 目はいろんな視点から見て、例えば、漢字をタイ人から見たらどう思うか、日本人から見たらどう思うか、外人だったら、って感じで目を使っています。

イヤリングのように付け外しする英語 耳は、タイ語、日本語いつでも聞き分けられますけど、英語はイヤリングのように使う時だけ取り出して使っています。

生まれた時からグローバルな私 学校でグローバル化について考えるというのがありますが、わたしはハーフ。生まれたときからそういうの始まっているよって思う時があるんですけど。

 

子どもたちの言語マップ・大変さの書き出し・言語ポートレート

 

子どもたちの感想:二つのワークをやって


ARISA 昔、苦しかったことやハーフで良かった出来事を思い出した。それをマップに全て表せなかったのは残念に思う。自分と同じハーフの子のマップを見ると、似たような色合いになっていて大変だったことや苦労したことが似ていて親近感がわいた。そして自分の小さかった頃の気持ちを自分と同じ子たちと話し合えて情報を共有できて良かった。時間があったらもっと細かいマップを作ろうと思った。(中略)自分だけが不安、苦労しているのではなく、同じことを経験、感じているんだと知り安心した。苦しんだり泣いていたころの自分に「大丈夫だ!!自分だけじゃない!」と伝えたい。

YUUKO 今日は自分のことを知ることができました。普段あまり自分のことを書くということがありません。描いてみてちょっと悩みました。でも、班でこの人わかるみたいなことができました。いろんな人の考えを知れて、楽しかったです。学べたり、わかりあえたりしました。子どもたちでやりたいです。

JUN ”ハーフ”ではなく”ダブル”であることに実感させられました。昔はハーフであることがとても嫌でしたが、近頃はどちらの文化もわかるということが、就職活動や日常生活などでも他の人よりプラスになっていることに気付き、このワークをやることによって、より自分は恵まれているなと感じました。もちろんハーフだから全てがプラスになるわけではありませんが、ハーフとしての葛藤を乗り越えた時にくるプラスに気付けるワークで、もっと自分に自信が持てるようになりました。 自分のアイデンティティをわかっているつもりでしたが、このワークショップに参加したことで、より自分自身の中で消化しきれていなかった部分を明確にすることができました。また国際児として恥ずかしいと思う時がありますが、トランスランゲージングの考え方を知ったことによってより自分自身に自信が持てそうです。

TAKANORI 他の人のことを見て、みんなそれぞれ困難があって乗り越えてきていた。傷ついた経験も良い経験としての価値があり、私もこれからも前を向いて歩いていける。「明けない夜はない」。今日、良かったです。子ども(で集まるのを)たのしみしています。

MIKU I think I set to know many people and we the best. I've never join the event like this before and it's interesting. I want to practice more so I can know. I proud to be half. Today, everything goes well. I think it's interesting and I think I want to join again.

MALIKA 自分の頭の中を整理することができて楽しかった。ふだん考えたことがなかったから自分の新しい一面に気付くことができてよかった。多言語で生きている中で、つらいこともたくさんあったけど、それが今の自分をつくりあげてくれたから、つらい経験も悪くはなかったなと思った。

 

子どもたちは今まで自分のことを語ってこなかったと言います。そんな子どもたちが、言語マップや言語ポートレートで自分を描き、自分を語りました。そして、この子どもたちの語りから大人たちは多くのことを学びました。次回、第3回報告では、この複言語・複文化ワークショップで大人たちが何に気づき、何を語ったか報告します。また、この子どもたちの「また集まりたい」という声に応え、12月に子どもたちの会も開催します。


JMHERAT運営委員


(注)

尾関史(2015)「 自己形成・キャリア形成を支える言語教育実践を目指して―海外中等教育日本語教師研修での試み―」 2015年度日本語教育学会中国地区研究集会予稿集

姫田麻利子(2013)「大学生の言語ポートレート」『語学教育研究論叢』第30号,213-232.

Busch, B.(2012) The Linguistic Repertoire Revisited. Applied Linguistics, 33/5, 503-523. Oxford University Press.


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