top of page

複言語・複文化を生きる親の語り「親の思い込み、子どもの気持ちとのずれー今考える親の役目」:言語マップ(201908WS06)

みつめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実


親と子どもの話を聞こう

ー複言語・複文化を生きる7人の語りー


2019年8月25日(日)に終了したワークショップの4回目の報告です。今回は、第二部「体験者の話を聞く」セクションから、複言語・複文化を生きる子どもの親であるEさん、Fさん、Gさんの語りの様子を見てみます。


それぞれのセッションでどのような語りが生まれ、気づきや学びが起きたのでしょうか。


 
親の思い込み、子どもの気持ちとのずれ 今考える親の役目

<Eさんの話のポイント>

・日本人のいない地域で漢字呪縛に陥っていた私    

・日本語学習とは…必死だった私の勝手な「思い込み」

・結果 息子は日本語嫌いに     

・好きから始まった子どもの学び



<Eさんのストーリーと質疑応答等など>


 タイ人の夫の仕事で息子と娘と共にタイ国内(日本2年を含む)の引っ越しを繰り返す。日本人がいない環境で子どもの日本語習得を必死で目指した。日本語習得にはまず漢字。漢字が読めてこそ読書が進むという「漢字呪縛」があった。だからアニメや漫画も禁止。しかし、小4の漢字辺りから息子が悲鳴をあげ始めた。漢字がただの記号にしか見えない。暗記も限界。そんな息子のSOSに気づかず私はそのまま漢字学習を続行し、ついに息子から日本語は嫌いと宣言された。途方に暮れていた頃、バンコク近郊へ引っ越し、大量の漫画をもらった事を皮切りに娯楽を解禁した。それがきっかけで息子も娘も今までとは違う切り口から日本や日本語に興味をもつようになった。今息子は日本の江戸時代、娘は平安時代に詳しくなった。なぜ漢字呪縛があったのか、なぜ娯楽を禁止したのか。親の思い込みに潜むものは何か、今改めて親としてやるべきことが何か考えたい。

 なぜ漢字呪縛があったのか。日本滞在期間中に知人より紹介された1年先の漢字学習に努めた。その背景には引っ越しによる疎外感、周囲に日本人がいない孤独感、せっかく日本で覚えた日本語がタイ語におされ、いずれ無くなってしまうのではという焦燥感があった。また、子供たちと同じものを読み、日本語で語り合いたいという親としての欲求もあった。そういった自分自身の感情が、子どもの気持ちを犠牲にして漢字学習に突き進んでしまった背景にあると思う。漫画やアニメを禁止していたのも、活字好きになって私と一緒に語ろうよという思いがあったからだと思う。


 日本語が話せて欲しい、読めて欲しいと願いながら、幅広い情報提供をせずに、まずは漢字に限定した学習から始めた。それがかえって子どもを悩ませてしまったが、早い段階で楽しい娯楽の日本語に触れさせても良かったのではと思い返す。


 子どもの興味のありそうなものに敏感に、そしていつでも共有できるように自分を柔軟にしていきたい。



Eさんのブースには、ダブルの子どもたちとダブルの子を持つ保護者たちが多く集まりました。質疑応答ではEさんだけでなくブース全体でEさんの話をもとに応答し合う時間も取りました。以下、印象的だった質疑応答の一部を紹介します。



質問者:漢字は読めれば良いのかなあと思うのですが、漢字をどうして覚えさせなければいけないと思ったのか?


Eさん:自分が読書が好きなので同じものを読み、話し合えたらという母の思いがあった。読書が出来るためには漢字ができなければと思っていた。漠然と小学校6年生くらいまでの漢字は覚えた方が、出来た方が良いのでは思っていた。自分が持っているもの(漢字を勉強し、本を読んで感想を言い合ったり、そんな時間)を共有したいと思った。それと、日本に住んでいた2年間があり、その時の思い出など日本の事は日本語で話したかった。タイ語が上手でない自分にとっては、余計に子どもに日本語を覚えてほしいという気持ちが強かった。



ファシ:漢字を覚えさせなければならないという思いに囚われていたEさんでしたが、(フロアの皆さんは)そのような経験はありますか?


(小6と小4の子を持つ母親):私は漢字が好きだったので子どもも勉強してくれると思っていた。上の子が2年生の漢字勉強をし、4年生の時に、4年の漢字を教えたら、3年生の漢字を教えていないのに 3、4年生の漢字は1、2年生の漢字の組み合わせだということが分かり何とか勉強できた。しかし、子どもから拒否。塾に行かせたところ、その先生から“好きなことをやらせてみたらと言われた。好きなことをやらせたら一芸になるよ。きらいなことをやらせたら、できたとしても人並みなのだよ。” バレエと出会った我が子。好きなことしながら自信が付く。私からは「がんばったね」など、子どもに寄り添った言葉掛けができるようになった。


質問者:どこからお母さんの気持ちが変わったのか?

Eさん:小学校4年生の時、息子からもう漢字は覚えられないし、日本語は嫌いだと言われた辺りから、これ以上私から教わりたくないのだなと気付いた。ぶつかり合うのを避けるため漢字勉強は一旦中止。内心、日本語への何か違うアプローチの仕方はないか探る時期に…今は基本的に勉強の日本語はノータッチ。(言い回しや漢字の読み方などの)日本語について聞かれたら答える(が、彼ら自らが興味を持ってきたものに関して情報提供を心掛けたい)。




ファシ:Eさんのお話を聞いて、(フロアの皆さんは)お子さんにやってもらいたいことや伝えたいことはありますか?


参加者Sさん:今小学校5年生の子ども。簡単だった漢字が3年生くらいから難しくなる。語彙も増えるし、自分が小学校時代にこんなの勉強したのかなと思うくらいの漢字も出てくる。あまり日常生活に関係のない、言葉も多々。現在位インター校に通うが、学校の宿題の量が多く(そちらを重視させ)手伝いもする。漢字はやりたくないならやらなくてもいいよと言ったこともあるが、本人はやりたいと言う。(漠然と)日本語はやりたい続けたいというので、続けてはいるが、このまま続け、(子どもから)将来的にやっておいて良かったと言われるのか?それともそうじゃないのか?子どもによって習得の進み具合も違うから、正解を求めないようにしたい。これからもいろんな意見を聞いて答えを出していけたら良いのかと思う。


質問者:(子どもが)漢字ばかり勉強したからこそ変わったと思うことはあるか?


Eさん:聞いてみると、嫌だった時期もあるが、漢字が読めて得することがあるので、今は良かったと言っている。もし本当に漢字が読めなかったら、(携帯)ゲームで分からないことも多かった。今息子が日本の歴史に詳しくなり、日本語の世界が広がったのは漢字が読めるようになったからかと思う。


参加者Tさん:漫画やユーチューブ一は良くないと思われがちだが、本人の興味があるものには、興味の蓋をしない程度が良いのかと思う。


語り手Dさん:日本人学校は日本語を話すことが基本。学校に特別教室があり、ダブルの子どもにタイ文字を教えてくれた。どうしても上達しない私は、タイの漫画から、文字の意味を理解した。漫画(娯楽)の力はすごいと感じた。


 

 子どもに対する母親の深い愛情を感じました。母親が息子に対し漢字学習を行ったのは、少しでも漢字に馴染み、そして日本語に親しむことで、将来タイに住んでも日本に住んでも活躍できることを願ってのことだと感じました。漢字学習の教え方では、ドリルのみを子どもにやらせていくのではなく、クイズ形式で楽しく教えたり、絵などを使って分かりやすく教えたり、息子さんに寄り添った姿がありました。

 子どもの気持ちに寄り添うことは最も大切なことだと思いますが、小さい時にしかできない体験もその時々であるはずです。今回の漢字学習もその一つだったように感じます。保護者が子どもの活躍することを願い、いろいろな種蒔き(今回の場合は漢字指導を指す)をすることは、その子にとって有用なことだと思います。小学校3年生までの漢字を覚えると、その後の義務教育で習う多くの漢字が、それまでの漢字の部首の組み合わせで書けてしまうという話があります。このことを考えると、息子さんが小学校中学年時には、漢字を嫌がってしまうことになってしまうことになりましたが、現在その頃のことを振り返ると「あのときは大変だったけど、今になると漢字を教えてもらって良かった」と話したことからも、母親が教えていたことが結果として息子の成長に大いに役立ったように思いました。

 つまり子どもの成長を考えると、子どもとの対話を大切にしながら、子どもの気持ちと親の気持ちのバランスを取り、いろいろな種を蒔くことが、その子にとって一番良いことなのではないかと感じました。「~するべき」の罠に陥らないよう、その時々で相談し方向性を決めていくことが大切なことだと感じました。

(ファシリテーター:川尻年輝)


Eさんの息子さんの現在

 小学校高学年に上がった時、学年に沿った漢字をそれまでのように面白く、楽しく、かつ生活に密着させて教えることができず、息子からギブアップの声。その後息子は漫画と出会い、坂本龍馬の世界へ。私からはドラマや本、関連漫画の提供。いつ質問されてもいいように歴史の復習は惜しまず。今、息子の興味は坂本龍馬にとどまらず江戸時代の志士フィールドトリップ(京都旅行)にまで広がっている。知りたいから、読む。楽しいから覚えられるに。今現在は書く漢字ではなく、読める漢字を着実に増やし 自分の日本、日本語を深めているようだ。(ワークショップ後のEさんからの便り)


 
母親が語る、母と娘たちの移動物語 ~Fさんの語り~

<Fさんの話のポイント>  

 ・私は「遅れている子? 」

 ・「虫ケラ」のような私

 ・ありのままの私でいられる場

 ・姉はインター校、妹は日本人学校

 ・故郷のない私たち

 ・純ジャパ?



〈Fさんのストーリー〉

 Fさんは大学を卒業後、親の友人の紹介でドバイで就職。ドバイで知り合った夫(日本人)と結婚し、夫の仕事で、シンガポール、フィリピン、日本、タイと移動を繰り返している。


 現在中学2年生の長女はフィリピンで生まれ2歳前に日本へ。幼稚園への入園をきっかけにシンガポールに渡り、インター幼稚園に1年通ったのち再び日本へ。幼稚園文化の違いから長女は「失敗」を繰り返し、Fさんは半年間幼稚園の親達に謝り続ける日々を過ごした。母国である日本にいたこの時期がFさんにとって一番辛い時期だった。長女も当たり前だったことが当たり前でなくなる環境で、クラスの子たちから「遅れている子」と言われた。本人も「自分は周りとは何か違う、遅れているのかも」とFさんに質問するように。Fさん夫婦は長女にストレスが溜まっていると感じ、サタデースクールに通うことにした。そこには様々なバックグラウンドを持つ日本人や在日外国人がいて、見た目だけではわからない多様性に飛んだ世界があった。長女にとっては、そこが「とても楽しい場」になった。その後、長女が小学校に入るタイミングでタイに転任し、8年間タイで暮らしている。長女は日本人小学校を卒業後、本人の希望で英国系のインター校に入学。これまでに4度にわたり国の移動をしてきたが、長女にとっては幼稚園転入とインター校入学での学習言語や学校文化の変化が大変だった。特にインター校の授業についていけるようになるまでの7ヶ月間は、自分が息をしているだけの「虫ケラ」のような存在だと感じ、悩んだ。しかし、ありのままの自分でいられる劇団という場があった。インター校にはそこで得た表現力で評価される授業があり、「得意分野」で自尊心を高めた。悩む長女を間近で見ている次女は日本人小学校卒業後も日本人中学校に進みたいと言う。次女にとって英語は「コミュニケーション」のための言葉であり、学問の一つで「学ぶ」ための言葉ではない


人生の半分以上を日本国外で生きる娘たち。「日本は行く場所」であり、自分たちには「故郷がない」と言う。移動を繰り返すFさん夫婦は娘たちに「親のいるところが故郷、あなたたちの故郷は、移動する故郷よ」と話している。


 

Fさんのブースでは複言語・複文化環境で子育てをする保護者を始め日本語教育に携わる教師などが熱心にメモを取りながら聞いていました。保護者からは自らの子を想像しながらの質問が多く出てきていました。以下、質疑応答の一部を紹介します。


質問:「遅れている子」や「虫ケラみたい」と娘さんが言った時の親の対応は?


Fさん:「遅れている子」は、幼稚園文化の違いから起こってしまっていたことなので、そのことを幼稚園の先生に伝え、対応をお願いしました。「虫ケラ」はそう思ってしまう気持ちがとてもよくわかったので、共感しました。ただ共感することしかできませんでした


今、もし同じ事を言われたら、「虫ケラでもいつかは蝶にもなれる」と言える余裕がありますが、その時は彼女の言葉の重みをそのまま受け止めることしかできませんでした。



質問:中学からインターに行って、(ついていけるようになるまでの)7ヶ月を頑張ることができたモチベーションは何と思うか?


Fさん:「演劇」の授業など認めてもらえる授業があったこと。あと、例えば、水泳など自分の得意分野で自尊心を高めることができていたこと。インター校では学期末に様々な賞をもらえますが、長女は「皆勤賞」しか今の私には得られるものがないと言い、辛い日々もそれを目指して一度も休まず通っていました。それは、長女の「自分が決めて選んだ道だから」というプライドと、自分の言葉に対する責任を13歳ながらに考えたからなのだと思います。我が家は出来る限り本人に決めさせる方針で、他人のせいにしないということを、大切だと考えています。



質問:長女はなぜインター校に進学?過去の経験が大きかった?


Fさん:マニラやシンガポール時代の幼馴染みに会った時に、その子たちの英語力が上がっているのを目の当たりにし、英語で話す姿を見て「かっこいい」と感じていたようです。父と母が海外で仕事をしていたことや、空港等で英語を使う姿を見ていて、自分もそうなりたいとも思っていたようです。また、劇団にはインター校に通っている子が多く、その子たちの語るインター校の話を聞いて「インターって楽しいかも」と感じていたし、演劇で、バイリンガルな役柄を演じられるチャンスがあるかもと思っていたようです。



質問:子ども2人が違う進路を選んだ理由は?


Fさん: 生まれ持った性格もあるかもしれませんが、生まれ育った場所と年齢が関係しているのかもしれません。我が家は、小さな事でも本人達の意思をなるべく尊重してきています。「違う進路を選ぶ」というのも、大袈裟な事として私たち夫婦は考えず、一人一人個性は違うからと姉妹ひとまとめに扱いはせず、時間をとって個々に接しているも理由の一つかもしれません。



質問:「 純ジャパ」という言葉。どういう意味ですか?


Fさん: 本来の意味かどうかはわかりませんが、私は純ジャパってDNA的なものだと思っていました。でも、娘は、純ジャパは「進化ができるもの」と捉えていて、「他の国に行って、言語や多様性などをひらひらと付け加えていける、その前の段階の人」に対して使っているようです。私は自分では純ジャパだと思っていましたが、娘からすると「お母さんは純ジャパじゃない」らしいです。それは、多様性を受け入れているかららしいです。


 

 複言語・複文化というと「国際結婚」や「ダブル(ハーフ)」などを思い浮かべてしまいがちですが、日本人同士の夫婦であっても移動を繰り返し長く日本を離れて暮らしているFさん家族も、まさに複言語・複文化を生きる当事者です。今回「語る意義・聞く意義」のワークショップをすると耳にした時、私が話を聞きたいと一番に思ったのがFさんでした。それは私がFさんと同じく日本人同士の夫婦で子どもを海外で育てている母親だからというのもありましたが、それ以上に「日本は行く場所」というFさんの娘さんの発言にとても興味を持ったからです。


 Fさんとはワークショップ当日までに3度インタビューを行い、やりとりを重ねてきました。最初は「何も語ることなんてない」と仰っていたFさんですが、娘さんたちと4カ国を移動しながらの子育て、国や学校を移動するごとに起こる出来事、それに対峙する家族の姿勢。そこには「普通の子たち」が複言語・複文化環境で育つことから起こる物語がたくさんありました。


 聞き手からの感想に「大きな環境の変化があった時に子どもの心の支えになるのは「大好きなこと」なんだと感じた。その「大好きなこと」を見つける機会を提供し、子どもの気持ち、決断に寄り添うのが親(母)の役割だと思った。」とありましたが、本当にその通りだと感じました。


 いつも娘さん一人一人に寄り添い全力でサポートしているFさん。「親のいるところが故郷、あなたたちの故郷は、移動する故郷よ。」この一言がとても印象に残っています。私も自分の子どもの成長に寄り添い、子どもにとっての故郷になろうと思いました。

(ファシリテーター・藤井瑞葉)


 
父親が語る子どもの成長 -息子とこれまでの経験を振り返る

<Gさんの話のポイント>


・子どもは日本人学校へ、と思っていた

・英語学習環境で育った息子の成長とそれを支えたもの

・息子に話を聞いて知ったこと、今思うこと



<Gさんのストーリーと質疑応答>


インター校日本語幼稚園に勤務。しかし夫婦ともに英語が苦手なこと、地方出身の妻にとってバンコクの学校は不安だったため、子どもは当然日本人学校へ入れようと考えていた。しかし妻や子どもが望み、授業料補助もあったため勤務校に就学させることに。年齢的に3月に日本人幼稚園を卒園して4月からG1に入るが英語のできない息子は授業内容も殆ど理解できずかなり苦労する。結局新年度8月から学年をひとつ落としてもう1度1から勉強。最初基礎英語のコースを学校から勧められたが、担任が「あの子なら心配ない、私が面倒をみる」と言ってくれた。G1ではABCの読み書きから入るので、徐々に英語のレベルが上がる。その後ダンスや、生徒会活動など楽しく学校生活を送りカナダに留学した。今はタイの会社のインターンを順調にこなし楽しそうだ。学校生活を楽しく積極的に送れたのはどうしてだったのか。本当に問題はなかったのか。本人はどうなのだろう。今夏帰省した息子に言語マップや関係性マップなどを描かせながら話を聞いた。親の知らなかったことも、勝手に解釈していたこともあった。親子で振り返ったこれまでの父と息子の経験を報告する。 



Gさんのブースには、Gさんと同じような立場で子どもを育てる父親を中心にさまざまな立場の保護者、ダブル当事者の大学生、そして教師が集まりました。「インター校と日本人学校とのバランス」「3言語のバランスや能力」「息子さんの心境」「ここに至るまでのご両親の心境や努力」などの質問が多く寄せられました。以下、印象的だった質疑応答の一部を紹介します。


 

質問:家庭内でどのようにして進路を決めたか。(話し合いや奥さんの意見はどうしたか)


インター校に進学を決定したのは私の妻の意見が強かったです。インター校は自宅から近く、親しいタイ人スタッフもおり安心感があったようです。日本人学校は、自宅から離れ、学校との日本語でのやり取りに不安があったようです。お弁当作りにも自信がなかったとのことでした。



質問:インター校とのコミュニケーションギャップはどうするか。


担任との面談は学校の通訳に入ってもらい、なんとかコミュニケーションをとっていました。中学部からは、息子が通訳してくれていました。



質問:言葉が混ざる事が心配。混ざったらどうするか。


混ざることは、あまり問題にしない方がいいのではないでしょうか?それより混ざっていても他人に自分の気持ちを伝えることの方が大切だと思います。ダブルの子にとって混ざっていて当たり前だと思います。学校のイベントやボランティアで通訳的なことができたことが息子にとって他人から認められる機会でもありました。



質問:(進学や語学習得に関して)家族でどんな話をしたか。


息子は、カナダで3年働いた後、タイに戻って就職することを希望しています。大学については自分が勉強したいことを明確にし、決めるように伝え、学校の進学担当の先生、塾の先生によく相談するよう勧めました。受験1年前に息子が興味を持っているアメリカの大学2校に2人でスクールツアーに参加しました。大学受験は、タイのチュラロンコーン大学のインターコース、カナダのライアソン大学2校を受験。語学に関しては、ダブルの子どもとして学べる環境がよいので自分の将来のため勉強することを勧めました。日本人、タイ人と関わる環境があるので、できる限り日本語とタイ語も学習することを勧めた。



質問:日本語能力はどの程度か、またどんな対策をしたか。


英語‐問題なし(第一言語:母語話者並み)

タイ語‐日常会話は問題がないが、読み書きはほぼ不可。

日本語‐日常会話は問題なし。


 しかし、親しくない人と電話で話すときは、うまくしゃべることができるか不安になり緊張を感じるそうです。読み書きに関しては学校で日本語の授業をG8まで受講しており、小学3、4年生程度ぐらいなら日本語の教科書は理解できるようだが、日本語で読んだり書いたりはほとんどしない。日本の高校進学も考えたのでG9年生の時、日系の塾で中学3年の国語を受講したがまったく理解できず、日本の高校進学は選択肢からなくなりました。


質問:インター校に入るタイミングはいつがいいか。

家庭の事情、居住地、本人の気持ちなどインター校に入るタイミングは人それぞれだと思うが、両親が英語が得意でない息子の場合、英語を第一言語に選んだのでインター校入学は小学校に就学時期でよかったと思う。高校からインター部に進学するお子さんを見てきたが、基礎英語を学んで、すぐに通常授業に入るケースから、基礎英語がなかなか身につかず、授業もほとんど理解できないケースまで大変差があるように思います。


質問:子供のストレスや悩みに対して親ができる事は何か。

話を聞いてあげること。解決策を一緒に考えていくことだと思います。


質問:(息子さんは「自分は自分」と考えているという事だが)どうやったらそういう風に育てられるか。

小学生の時、息子は周りの大人から「何人として生きていくか決めなくてはならない。」 と言われたことがありました。私は決める必要はないと思っていましたが、何より「何人か」ということに拘らない友人が学校にたくさんいました。多国籍、多言語、多文化の環境にあるタイ、バンコクに育ったこと、民族や国籍に拘らない友人がいるインター校に通ったことが一番影響しているのではと思います。



質問:親としての戸惑い、子供が自分で決めた事に突き進んでいくことに対する親の不安はどんなことか。

インター部に入学した当時、言葉(英語)の壁のプレッシャーを感じている息子を見てこの先インター校でやっていけるのだろうかという戸惑いが強くあった。日本の小学校に体験入学に行った時、一部の男の子からからかわれたりいじめられたことを先生や祖母祖父にあまり相談しなかったことを後から聞いて胸が痛みました。

 大きくなっても遠く離れたカナダで病気、怪我しないだろうかという不安はいつもあります。しかし、それ以上に息子が自ら人間関係を広げ成長していく姿に対する安心感の方が大きいです。


 

 現在、Gさんの息子さんはとても立派に自分の人生を突き進んでいるので、「どうすれば? どうやったら?」という質問が多かったです。特にインター校と日本人学校とのバランスや、3言語のバランスや能力、息子さんの心境に興味があったようです。また、ここに至るまでのご両親の心境や努力にも関心が集まりました。個人的には、どうやったら「自分は自分」と言える子供に育てられるか、が興味深かったです。


 一番印象に残ったことは、複数の方々から、「子供が思ったように」「子供が望んだ事を」「子供の考えを聞いて」という種類の発言が多く聞かれたことです。語りセクションが終わってからのホームグループでも「子供の意見、気持ち、興味」という発言が多数聞かれ、「子供がどうしたいか、親がどうしてあげたいかのバランス感覚、子供をもっと知ること」などがまとめとしてあげられました。これは、当事者の話を聞く活動を継続してきたことで、運営側にも参加者側にも話し手にも聞き手にも、子供の気持ちに対するスペースが広がった結果だと感じました。

(ファシリテーター:宍戸大作)



これまで3回にわたり、第二部「体験者の話を聞く」での当日の語りと聞き手とのやりとりを報告してきました。それぞれのセクションで聞き手がいてこその語りが生まれていたのではないでしょうか?次回のブログでは、「語る意義・聞く意義」について、語り手、聞き手、ファシリテーターそれぞれの感想をもとに考えてみます。


タイにおける母語・継承語としての日本語教育研究会(JMHERAT) 運営委員


Comments


bottom of page