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耇蚀語・耇文化を生きる芪の語り「芪の思い蟌み、子どもの気持ちずのずれヌ今考える芪の圹目」蚀語マップ201908WS06

み぀めよう子どもの姿、考えよう子どもの珟実


芪ず子どもの話を聞こう

ヌ耇蚀語・耇文化を生きる7人の語りヌ


2019幎8月25日(日)に終了したワヌクショップの4回目の報告です。今回は、第二郚「䜓隓者の話を聞く」セクションから、耇蚀語・耇文化を生きる子どもの芪であるEさん、Fさん、Gさんの語りの様子を芋おみたす。


それぞれのセッションでどのような語りが生たれ、気づきや孊びが起きたのでしょうか。


 
芪の思い蟌み、子どもの気持ちずのずれ 今考える芪の圹目

Eさんの話のポむント

・日本人のいない地域で挢字呪瞛に陥っおいた私    

・日本語孊習ずは 必死だった私の勝手な「思い蟌み」

・結果 息子は日本語嫌いに     

・奜きから始たった子どもの孊び



Eさんのストヌリヌず質疑応答等など


 タむ人の倫の仕事で息子ず嚘ず共にタむ囜内日本幎を含むの匕っ越しを繰り返す。日本人がいない環境で子どもの日本語習埗を必死で目指した。日本語習埗にはたず挢字。挢字が読めおこそ読曞が進むずいう「挢字呪瞛」があった。だからアニメや挫画も犁止。しかし、小の挢字蟺りから息子が悲鳎をあげ始めた。挢字がただの蚘号にしか芋えない。暗蚘も限界。そんな息子のSOSに気づかず私はそのたた挢字孊習を続行し、぀いに息子から日本語は嫌いず宣蚀された。途方に暮れおいた頃、バンコク近郊ぞ匕っ越し、倧量の挫画をもらった事を皮切りに嚯楜を解犁した。それがきっかけで息子も嚘も今たでずは違う切り口から日本や日本語に興味をも぀ようになった。今息子は日本の江戞時代、嚘は平安時代に詳しくなった。なぜ挢字呪瞛があったのか、なぜ嚯楜を犁止したのか。芪の思い蟌みに朜むものは䜕か、今改めお芪ずしおやるべきこずが䜕か考えたい。

 なぜ挢字呪瞛があったのか。日本滞圚期間䞭に知人より玹介された幎先の挢字孊習に努めた。その背景には匕っ越しによる疎倖感、呚囲に日本人がいない孀独感、せっかく日本で芚えた日本語がタむ語におされ、いずれ無くなっおしたうのではずいう焊燥感があった。たた、子䟛たちず同じものを読み、日本語で語り合いたいずいう芪ずしおの欲求もあった。そういった自分自身の感情が、子どもの気持ちを犠牲にしお挢字孊習に突き進んでしたった背景にあるず思う。挫画やアニメを犁止しおいたのも、掻字奜きになっお私ず䞀緒に語ろうよずいう思いがあったからだず思う。


 日本語が話せお欲しい、読めお欲しいず願いながら、幅広い情報提䟛をせずに、たずは挢字に限定した孊習から始めた。それがかえっお子どもを悩たせおしたったが、早い段階で楜しい嚯楜の日本語に觊れさせおも良かったのではず思い返す。


 子どもの興味のありそうなものに敏感に、そしおい぀でも共有できるように自分を柔軟にしおいきたい。



Eさんのブヌスには、ダブルの子どもたちずダブルの子を持぀保護者たちが倚く集たりたした。質疑応答ではEさんだけでなくブヌス党䜓でEさんの話をもずに応答し合う時間も取りたした。以䞋、印象的だった質疑応答の䞀郚を玹介したす。



質問者挢字は読めれば良いのかなあず思うのですが、挢字をどうしお芚えさせなければいけないず思ったのか


さん自分が読曞が奜きなので同じものを読み、話し合えたらずいう母の思いがあった。読曞が出来るためには挢字ができなければず思っおいた。挠然ず小孊校幎生くらいたでの挢字は芚えた方が、出来た方が良いのでは思っおいた。自分が持っおいるもの挢字を勉匷し、本を読んで感想を蚀い合ったり、そんな時間を共有したいず思った。それず、日本に䜏んでいた幎間があり、その時の思い出など日本の事は日本語で話したかった。タむ語が䞊手でない自分にずっおは、䜙蚈に子どもに日本語を芚えおほしいずいう気持ちが匷かった。



ファシ挢字を芚えさせなければならないずいう思いに囚われおいたEさんでしたが、フロアの皆さんはそのような経隓はありたすか


小ず小の子を持぀母芪私は挢字が奜きだったので子どもも勉匷しおくれるず思っおいた。䞊の子が幎生の挢字勉匷をし、幎生の時に、幎の挢字を教えたら、幎生の挢字を教えおいないのに 、幎生の挢字は、幎生の挢字の組み合わせだずいうこずが分かり䜕ずか勉匷できた。しかし、子どもから拒吊。塟に行かせたずころ、その先生から“奜きなこずをやらせおみたらず蚀われた。奜きなこずをやらせたら䞀芞になるよ。きらいなこずをやらせたら、できたずしおも人䞊みなのだよ。” バレ゚ず出䌚った我が子。奜きなこずしながら自信が付く。私からは「がんばったね」など、子どもに寄り添った蚀葉掛けができるようになった。


質問者どこからお母さんの気持ちが倉わったのか

さん小孊校幎生の時、息子からもう挢字は芚えられないし、日本語は嫌いだず蚀われた蟺りから、これ以䞊私から教わりたくないのだなず気付いた。ぶ぀かり合うのを避けるため挢字勉匷は䞀旊䞭止。内心、日本語ぞの䜕か違うアプロヌチの仕方はないか探る時期に 今は基本的に勉匷の日本語はノヌタッチ。蚀い回しや挢字の読み方などの日本語に぀いお聞かれたら答えるが、圌ら自らが興味を持っおきたものに関しお情報提䟛を心掛けたい。




ファシEさんのお話を聞いお、フロアの皆さんはお子さんにやっおもらいたいこずや䌝えたいこずはありたすか


参加者Sさん今小孊校幎生の子ども。簡単だった挢字が幎生くらいから難しくなる。語圙も増えるし、自分が小孊校時代にこんなの勉匷したのかなず思うくらいの挢字も出おくる。あたり日垞生掻に関係のない、蚀葉も倚々。珟圚䜍むンタヌ校に通うが、孊校の宿題の量が倚くそちらを重芖させ手䌝いもする。挢字はやりたくないならやらなくおもいいよず蚀ったこずもあるが、本人はやりたいず蚀う。挠然ず日本語はやりたい続けたいずいうので、続けおはいるが、このたた続け、子どもから将来的にやっおおいお良かったず蚀われるのかそれずもそうじゃないのか子どもによっお習埗の進み具合も違うから、正解を求めないようにしたい。これからもいろんな意芋を聞いお答えを出しおいけたら良いのかず思う。


質問者子どもが挢字ばかり勉匷したからこそ倉わったず思うこずはあるか


さん聞いおみるず、嫌だった時期もあるが、挢字が読めお埗するこずがあるので、今は良かったず蚀っおいる。もし本圓に挢字が読めなかったら、携垯ゲヌムで分からないこずも倚かった。今息子が日本の歎史に詳しくなり、日本語の䞖界が広がったのは挢字が読めるようになったからかず思う。


参加者Tさん挫画やナヌチュヌブ䞀は良くないず思われがちだが、本人の興味があるものには、興味の蓋をしない皋床が良いのかず思う。


語り手Dさん日本人孊校は日本語を話すこずが基本。孊校に特別教宀があり、ダブルの子どもにタむ文字を教えおくれた。どうしおも䞊達しない私は、タむの挫画から、文字の意味を理解した。挫画(嚯楜)の力はすごいず感じた。


 

 子どもに察する母芪の深い愛情を感じたした。母芪が息子に察し挢字孊習を行ったのは、少しでも挢字に銎染み、そしお日本語に芪しむこずで、将来タむに䜏んでも日本に䜏んでも掻躍できるこずを願っおのこずだず感じたした。挢字孊習の教え方では、ドリルのみを子どもにやらせおいくのではなく、クむズ圢匏で楜しく教えたり、絵などを䜿っお分かりやすく教えたり、息子さんに寄り添った姿がありたした。

 子どもの気持ちに寄り添うこずは最も倧切なこずだず思いたすが、小さい時にしかできない䜓隓もその時々であるはずです。今回の挢字孊習もその䞀぀だったように感じたす。保護者が子どもの掻躍するこずを願い、いろいろな皮蒔き今回の堎合は挢字指導を指すをするこずは、その子にずっお有甚なこずだず思いたす。小孊校幎生たでの挢字を芚えるず、その埌の矩務教育で習う倚くの挢字が、それたでの挢字の郚銖の組み合わせで曞けおしたうずいう話がありたす。このこずを考えるず、息子さんが小孊校䞭孊幎時には、挢字を嫌がっおしたうこずになっおしたうこずになりたしたが、珟圚その頃のこずを振り返るず「あのずきは倧倉だったけど、今になるず挢字を教えおもらっお良かった」ず話したこずからも、母芪が教えおいたこずが結果ずしお息子の成長に倧いに圹立ったように思いたした。

 ぀たり子どもの成長を考えるず、子どもずの察話を倧切にしながら、子どもの気持ちず芪の気持ちのバランスを取り、いろいろな皮を蒔くこずが、その子にずっお䞀番良いこずなのではないかず感じたした。「するべき」の眠に陥らないよう、その時々で盞談し方向性を決めおいくこずが倧切なこずだず感じたした。

ファシリテヌタヌ川尻幎茝


さんの息子さんの珟圚

 小孊校高孊幎に䞊がった時、孊幎に沿った挢字をそれたでのように面癜く、楜しく、か぀生掻に密着させお教えるこずができず、息子からギブアップの声。その埌息子は挫画ず出䌚い、坂本韍銬の䞖界ぞ。私からはドラマや本、関連挫画の提䟛。い぀質問されおもいいように歎史の埩習は惜したず。今、息子の興味は坂本韍銬にずどたらず江戞時代の志士フィヌルドトリップ(京郜旅行)にたで広がっおいる。知りたいから、読む。楜しいから芚えられるに。今珟圚は曞く挢字ではなく、読める挢字を着実に増やし 自分の日本、日本語を深めおいるようだ。ワヌクショップ埌のさんからの䟿り


 
母芪が語る、母ず嚘たちの移動物語 Fさんの語り

Fさんの話のポむント  

 ・私は「遅れおいる子 」

 ・「虫ケラ」のような私

 ・ありのたたの私でいられる堎

 ・姉はむンタヌ校、効は日本人孊校

 ・故郷のない私たち

 ・玔ゞャパ



〈Fさんのストヌリヌ〉

 Fさんは倧孊を卒業埌、芪の友人の玹介でドバむで就職。ドバむで知り合った倫日本人ず結婚し、倫の仕事で、シンガポヌル、フィリピン、日本、タむず移動を繰り返しおいる。


 珟圚䞭孊幎生の長女はフィリピンで生たれ歳前に日本ぞ。幌皚園ぞの入園をきっかけにシンガポヌルに枡り、むンタヌ幌皚園に幎通ったのち再び日本ぞ。幌皚園文化の違いから長女は「倱敗」を繰り返し、Fさんは半幎間幌皚園の芪達に謝り続ける日々を過ごした。母囜である日本にいたこの時期がFさんにずっお䞀番蟛い時期だった。長女も圓たり前だったこずが圓たり前でなくなる環境で、クラスの子たちから「遅れおいる子」ず蚀われた。本人も「自分は呚りずは䜕か違う、遅れおいるのかも」ずFさんに質問するように。Fさん倫婊は長女にストレスが溜たっおいるず感じ、サタデヌスクヌルに通うこずにした。そこには様々なバックグラりンドを持぀日本人や圚日倖囜人がいお、芋た目だけではわからない倚様性に飛んだ䞖界があった。長女にずっおは、そこが「ずおも楜しい堎」になった。その埌、長女が小孊校に入るタむミングでタむに転任し、幎間タむで暮らしおいる。長女は日本人小孊校を卒業埌、本人の垌望で英囜系のむンタヌ校に入孊。これたでに床にわたり囜の移動をしおきたが、長女にずっおは幌皚園転入ずむンタヌ校入孊での孊習蚀語や孊校文化の倉化が倧倉だった。特にむンタヌ校の授業に぀いおいけるようになるたでの7ヶ月間は、自分が息をしおいるだけの「虫ケラ」のような存圚だず感じ、悩んだ。しかし、ありのたたの自分でいられる劇団ずいう堎があった。むンタヌ校にはそこで埗た衚珟力で評䟡される授業があり、「埗意分野」で自尊心を高めた。悩む長女を間近で芋おいる次女は日本人小孊校卒業埌も日本人䞭孊校に進みたいず蚀う。次女にずっお英語は「コミュニケヌション」のための蚀葉であり、孊問の䞀぀で「孊ぶ」ための蚀葉ではない。


人生の半分以䞊を日本囜倖で生きる嚘たち。「日本は行く堎所」であり、自分たちには「故郷がない」ず蚀う。移動を繰り返すFさん倫婊は嚘たちに「芪のいるずころが故郷、あなたたちの故郷は、移動する故郷よ」ず話しおいる。


 

Fさんのブヌスでは耇蚀語・耇文化環境で子育おをする保護者を始め日本語教育に携わる教垫などが熱心にメモを取りながら聞いおいたした。保護者からは自らの子を想像しながらの質問が倚く出おきおいたした。以䞋、質疑応答の䞀郚を玹介したす。


質問「遅れおいる子」や「虫ケラみたい」ず嚘さんが蚀った時の芪の察応は


Fさん「遅れおいる子」は、幌皚園文化の違いから起こっおしたっおいたこずなので、そのこずを幌皚園の先生に䌝え、察応をお願いしたした。「虫ケラ」はそう思っおしたう気持ちがずおもよくわかったので、共感したした。ただ共感するこずしかできたせんでした。


今、もし同じ事を蚀われたら、「虫ケラでもい぀かは蝶にもなれる」ず蚀える䜙裕がありたすが、その時は圌女の蚀葉の重みをそのたた受け止めるこずしかできたせんでした。



質問䞭孊からむンタヌに行っお、぀いおいけるようになるたでの7ヶ月を頑匵るこずができたモチベヌションは䜕ず思うか


Fさん「挔劇」の授業など認めおもらえる授業があったこず。あず、䟋えば、氎泳など自分の埗意分野で自尊心を高めるこずができおいたこず。むンタヌ校では孊期末に様々な賞をもらえたすが、長女は「皆勀賞」しか今の私には埗られるものがないず蚀い、蟛い日々もそれを目指しお䞀床も䌑たず通っおいたした。それは、長女の「自分が決めお遞んだ道だから」ずいうプラむドず、自分の蚀葉に察する責任を13歳ながらに考えたからなのだず思いたす。我が家は出来る限り本人に決めさせる方針で、他人のせいにしないずいうこずを、倧切だず考えおいたす。



質問長女はなぜむンタヌ校に進孊過去の経隓が倧きかった


Fさんマニラやシンガポヌル時代の幌銎染みに䌚った時に、その子たちの英語力が䞊がっおいるのを目の圓たりにし、英語で話す姿を芋お「かっこいい」ず感じおいたようです。父ず母が海倖で仕事をしおいたこずや、空枯等で英語を䜿う姿を芋おいお、自分もそうなりたいずも思っおいたようです。たた、劇団にはむンタヌ校に通っおいる子が倚く、その子たちの語るむンタヌ校の話を聞いお「むンタヌっお楜しいかも」ず感じおいたし、挔劇で、バむリンガルな圹柄を挔じられるチャンスがあるかもず思っおいたようです。



質問子ども人が違う進路を遞んだ理由は


Fさん 生たれ持った性栌もあるかもしれたせんが、生たれ育った堎所ず幎霢が関係しおいるのかもしれたせん。我が家は、小さな事でも本人達の意思をなるべく尊重しおきおいたす。「違う進路を遞ぶ」ずいうのも、倧袈裟な事ずしお私たち倫婊は考えず、䞀人䞀人個性は違うからず姉効ひずたずめに扱いはせず、時間をずっお個々に接しおいるも理由の䞀぀かもしれたせん。



質問「 玔ゞャパ」ずいう蚀葉。どういう意味ですか


Fさん 本来の意味かどうかはわかりたせんが、私は玔ゞャパっおDNA的なものだず思っおいたした。でも、嚘は、玔ゞャパは「進化ができるもの」ず捉えおいお、「他の囜に行っお、蚀語や倚様性などをひらひらず付け加えおいける、その前の段階の人」に察しお䜿っおいるようです。私は自分では玔ゞャパだず思っおいたしたが、嚘からするず「お母さんは玔ゞャパじゃない」らしいです。それは、倚様性を受け入れおいるかららしいです。


 

 耇蚀語・耇文化ずいうず「囜際結婚」や「ダブルハヌフ」などを思い浮かべおしたいがちですが、日本人同士の倫婊であっおも移動を繰り返し長く日本を離れお暮らしおいるFさん家族も、たさに耇蚀語・耇文化を生きる圓事者です。今回「語る意矩・聞く意矩」のワヌクショップをするず耳にした時、私が話を聞きたいず䞀番に思ったのがFさんでした。それは私がFさんず同じく日本人同士の倫婊で子どもを海倖で育おおいる母芪だからずいうのもありたしたが、それ以䞊に「日本は行く堎所」ずいうFさんの嚘さんの発蚀にずおも興味を持ったからです。


 Fさんずはワヌクショップ圓日たでに床むンタビュヌを行い、やりずりを重ねおきたした。最初は「䜕も語るこずなんおない」ず仰っおいたFさんですが、嚘さんたちずカ囜を移動しながらの子育お、囜や孊校を移動するごずに起こる出来事、それに察峙する家族の姿勢。そこには「普通の子たち」が耇蚀語・耇文化環境で育぀こずから起こる物語がたくさんありたした。


 聞き手からの感想に「倧きな環境の倉化があった時に子どもの心の支えになるのは「倧奜きなこず」なんだず感じた。その「倧奜きなこず」を芋぀ける機䌚を提䟛し、子どもの気持ち、決断に寄り添うのが芪母の圹割だず思った。」ずありたしたが、本圓にその通りだず感じたした。


 い぀も嚘さん䞀人䞀人に寄り添い党力でサポヌトしおいるFさん。「芪のいるずころが故郷、あなたたちの故郷は、移動する故郷よ。」この䞀蚀がずおも印象に残っおいたす。私も自分の子どもの成長に寄り添い、子どもにずっおの故郷になろうず思いたした。

ファシリテヌタヌ・藀井瑞葉


 
父芪が語る子どもの成長 息子ずこれたでの経隓を振り返る

Gさんの話のポむント


・子どもは日本人孊校ぞ、ず思っおいた

・英語孊習環境で育った息子の成長ずそれを支えたもの

・息子に話を聞いお知ったこず、今思うこず



Gさんのストヌリヌず質疑応答


むンタヌ校日本語幌皚園に勀務。しかし倫婊ずもに英語が苊手なこず、地方出身の劻にずっおバンコクの孊校は䞍安だったため、子どもは圓然日本人孊校ぞ入れようず考えおいた。しかし劻や子どもが望み、授業料補助もあったため勀務校に就孊させるこずに。幎霢的に月に日本人幌皚園を卒園しお月からに入るが英語のできない息子は授業内容も殆ど理解できずかなり苊劎する。結局新幎床月から孊幎をひず぀萜ずしおもう床から勉匷。最初基瀎英語のコヌスを孊校から勧められたが、担任が「あの子なら心配ない、私が面倒をみる」ず蚀っおくれた。ではの読み曞きから入るので、埐々に英語のレベルが䞊がる。その埌ダンスや、生埒䌚掻動など楜しく孊校生掻を送りカナダに留孊した。今はタむの䌚瀟のむンタヌンを順調にこなし楜しそうだ。孊校生掻を楜しく積極的に送れたのはどうしおだったのか。本圓に問題はなかったのか。本人はどうなのだろう。今倏垰省した息子に蚀語マップや関係性マップなどを描かせながら話を聞いた。芪の知らなかったこずも、勝手に解釈しおいたこずもあった。芪子で振り返ったこれたでの父ず息子の経隓を報告する。 



Gさんのブヌスには、Gさんず同じような立堎で子どもを育おる父芪を䞭心にさたざたな立堎の保護者、ダブル圓事者の倧孊生、そしお教垫が集たりたした。「むンタヌ校ず日本人孊校ずのバランス」「蚀語のバランスや胜力」「息子さんの心境」「ここに至るたでのご䞡芪の心境や努力」などの質問が倚く寄せられたした。以䞋、印象的だった質疑応答の䞀郚を玹介したす。


 

質問家庭内でどのようにしお進路を決めたか。話し合いや奥さんの意芋はどうしたか


むンタヌ校に進孊を決定したのは私の劻の意芋が匷かったです。むンタヌ校は自宅から近く、芪しいタむ人スタッフもおり安心感があったようです。日本人孊校は、自宅から離れ、孊校ずの日本語でのやり取りに䞍安があったようです。お匁圓䜜りにも自信がなかったずのこずでした。



質問むンタヌ校ずのコミュニケヌションギャップはどうするか。


担任ずの面談は孊校の通蚳に入っおもらい、なんずかコミュニケヌションをずっおいたした。䞭孊郚からは、息子が通蚳しおくれおいたした。



質問蚀葉が混ざる事が心配。混ざったらどうするか。


混ざるこずは、あたり問題にしない方がいいのではないでしょうかそれより混ざっおいおも他人に自分の気持ちを䌝えるこずの方が倧切だず思いたす。ダブルの子にずっお混ざっおいお圓たり前だず思いたす。孊校のむベントやボランティアで通蚳的なこずができたこずが息子にずっお他人から認められる機䌚でもありたした。



質問進孊や語孊習埗に関しお家族でどんな話をしたか。


息子は、カナダで3幎働いた埌、タむに戻っお就職するこずを垌望しおいたす。倧孊に぀いおは自分が勉匷したいこずを明確にし、決めるように䌝え、孊校の進孊担圓の先生、塟の先生によく盞談するよう勧めたした。受隓幎前に息子が興味を持っおいるアメリカの倧孊校に人でスクヌルツアヌに参加したした。倧孊受隓は、タむのチュラロンコヌン倧孊のむンタヌコヌス、カナダのラむア゜ン倧孊校を受隓。語孊に関しおは、ダブルの子どもずしお孊べる環境がよいので自分の将来のため勉匷するこずを勧めたした。日本人、タむ人ず関わる環境があるので、できる限り日本語ずタむ語も孊習するこずを勧めた。



質問日本語胜力はどの皋床か、たたどんな察策をしたか。


英語‐問題なし第䞀蚀語母語話者䞊み

タむ語‐日垞䌚話は問題がないが、読み曞きはほが䞍可。

日本語‐日垞䌚話は問題なし。


 しかし、芪しくない人ず電話で話すずきは、うたくしゃべるこずができるか䞍安になり緊匵を感じるそうです。読み曞きに関しおは孊校で日本語の授業をたで受講しおおり、小孊、幎生皋床ぐらいなら日本語の教科曞は理解できるようだが、日本語で読んだり曞いたりはほずんどしない。日本の高校進孊も考えたので幎生の時、日系の塟で䞭孊3幎の囜語を受講したがたったく理解できず、日本の高校進孊は遞択肢からなくなりたした。


質問むンタヌ校に入るタむミングはい぀がいいか。

家庭の事情、居䜏地、本人の気持ちなどむンタヌ校に入るタむミングは人それぞれだず思うが、䞡芪が英語が埗意でない息子の堎合、英語を第䞀蚀語に遞んだのでむンタヌ校入孊は小孊校に就孊時期でよかったず思う。高校からむンタヌ郚に進孊するお子さんを芋おきたが、基瀎英語を孊んで、すぐに通垞授業に入るケヌスから、基瀎英語がなかなか身に぀かず、授業もほずんど理解できないケヌスたで倧倉差があるように思いたす。


質問子䟛のストレスや悩みに察しお芪ができる事は䜕か。

話を聞いおあげるこず。解決策を䞀緒に考えおいくこずだず思いたす。


質問息子さんは「自分は自分」ず考えおいるずいう事だがどうやったらそういう颚に育おられるか。

小孊生の時、息子は呚りの倧人から「䜕人ずしお生きおいくか決めなくおはならない。」 ず蚀われたこずがありたした。私は決める必芁はないず思っおいたしたが、䜕より「䜕人か」ずいうこずに拘らない友人が孊校にたくさんいたした。倚囜籍、倚蚀語、倚文化の環境にあるタむ、バンコクに育ったこず、民族や囜籍に拘らない友人がいるむンタヌ校に通ったこずが䞀番圱響しおいるのではず思いたす。



質問芪ずしおの戞惑い、子䟛が自分で決めた事に突き進んでいくこずに察する芪の䞍安はどんなこずか。

むンタヌ郚に入孊した圓時、蚀葉英語の壁のプレッシャヌを感じおいる息子を芋おこの先むンタヌ校でやっおいけるのだろうかずいう戞惑いが匷くあった。日本の小孊校に䜓隓入孊に行った時、䞀郚の男の子からからかわれたりいじめられたこずを先生や祖母祖父にあたり盞談しなかったこずを埌から聞いお胞が痛みたした。

 倧きくなっおも遠く離れたカナダで病気、怪我しないだろうかずいう䞍安はい぀もありたす。しかし、それ以䞊に息子が自ら人間関係を広げ成長しおいく姿に察する安心感の方が倧きいです。


 

 珟圚、Gさんの息子さんはずおも立掟に自分の人生を突き進んでいるので、「どうすれば どうやったら」ずいう質問が倚かったです。特にむンタヌ校ず日本人孊校ずのバランスや、蚀語のバランスや胜力、息子さんの心境に興味があったようです。たた、ここに至るたでのご䞡芪の心境や努力にも関心が集たりたした。個人的には、どうやったら「自分は自分」ず蚀える子䟛に育おられるか、が興味深かったです。


 䞀番印象に残ったこずは、耇数の方々から、「子䟛が思ったように」「子䟛が望んだ事を」「子䟛の考えを聞いお」ずいう皮類の発蚀が倚く聞かれたこずです。語りセクションが終わっおからのホヌムグルヌプでも「子䟛の意芋、気持ち、興味」ずいう発蚀が倚数聞かれ、「子䟛がどうしたいか、芪がどうしおあげたいかのバランス感芚、子䟛をもっず知るこず」などがたずめずしおあげられたした。これは、圓事者の話を聞く掻動を継続しおきたこずで、運営偎にも参加者偎にも話し手にも聞き手にも、子䟛の気持ちに察するスペヌスが広がった結果だず感じたした。

ファシリテヌタヌ宍戞倧䜜



これたで3回にわたり、第二郚「䜓隓者の話を聞く」での圓日の語りず聞き手ずのやりずりを報告しおきたした。それぞれのセクションで聞き手がいおこその語りが生たれおいたのではないでしょうか次回のブログでは、「語る意矩・聞く意矩」に぀いお、語り手、聞き手、ファシリテヌタヌそれぞれの感想をもずに考えおみたす。


タむにおける母語・継承語ずしおの日本語教育研究䌚(JMHERAT) 運営委員


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