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「外でタイ語を話すのは恥ずかしい」「3つのことばがぐちゃぐちゃにまざっている」(20230805JPWS01)

第1回日本部会ワークショップ

語ってみよう、私たちの日本生活

ータイにつながる家族の居場所ー


 今回は、2023年8月5日(土)に行った第1回日本部会ワークショップで語られたことを中心にご報告します。

 ワークショップでは描いてきた言語マップを各自が説明するという過程から始めました。そこでは、それぞれの語りから発展し、様々なトピックで語り合いが行われました。その中から特徴的だった3つのトピックをご紹介します。


※参加者(仮名):

・ホームディー夫婦(夫:ベンツ(タイ)・妻:りり(日本))

・千葉夫婦(夫:まさき(日本)・妻:オーイ(タイ))

 

「外でタイ語を話すのは恥ずかしい」

 これは、両夫婦のタイ人側に共通して出てきた語りです。ベンツさんがこう語り出すと、画面越しにオーイさんが「うん、うん」と大きく頷き、強く共感を示したことが印象的でした。この語りは最初、ベンツさんから、「僕はシャイだから。自信がないタイプだし」など、自分個人の性格の問題として語られました。しかし、語りが進むにつれて、「日本人はタイを社会的に下の国だと思ってるでしょ?」という、タイ人であることに気づかれたときに卑下されることを避けたいという気持ちや、「無理をしてでも日本語を使っていたほうが目立たないでしょ」「タイ語を自分が話しているのを聞かれるのは恥ずかしい」のように、公共の場などで自分に注目を向けられないようにするといった意識が働いていることがわかりました。

 その一方で、同じような場(外)で、子どもが大きい声で「ปะป๋าาาา(パパ~)อยู่ไหนครับบบ?(どこにいるの〜?)」と自分を呼んだとしても、「可愛いです。子どもが言っているタイ語は恥ずかしいと思わない」と語り、子どもが自分に向けて使うタイ語に関しては、たとえ公共の場であっても肯定的な受け止めが前面に出ていることがわかりました。オーイさんも「子どもと共に話しているときのタイ語は恥ずかしくない」と子どもが自分に対してタイ語を使うことに関しては肯定的に捉えていますが、「日本でタイ語を使うと「何者?」と注目されるのでタイ語を使うのをやめてしまう​​」と、ベンツさんと同様タイ語を使うことによる周囲の視線にネガティブな気持ちを抱いていることがわかりました。


 個人ではなくタイ人親共通の語りとして出てきたこれらの語りからは、日本でタイ人が受ける眼差しの問題が浮き出てきます。単一言語社会であるという思い込みの強い日本の、自分とは異なる言語を使う人を特別な目で見てしまうという側面が強く出ていたのではないでしょうか。つまり「日本社会の問題であって、タイ人であることが悪いわけではない」のです。JMHERAT代表がそれを強く伝えた時、タイ人親の二人は安堵した表情で強く頷いていました。

 私たちも日本で子育てをするタイ人親のこのような声を聞くことができ、日本の社会的な問題に目を向けることができたことは、今後の日本部会の活動方針を考えていく上でも一つの大事な資源となりました。


「3つのことばがぐちゃぐちゃにまざっている」

 これは言語マップの「大変さ」の語りで、まさきさんが語ったものです。日常生活の中でタイ語と日本語と英語をまぜて使っていて、この状態のままでいいか現状を不安視しているとのことでした。

 今回の参加者は、家庭内で複数の言語(ホームディー夫婦は日本語とタイ語、千葉夫婦は英語とタイ語と日本語)を使用している複言語家族でしたが、日常の中の複数の言語が混ざることを「ぐちゃぐちゃしていて」と心配しています。この「ぐちゃぐちゃ」と混ざっていることは、複数の言語を使う家庭では自然に起こることですね。そして、その家庭の「家庭内コミュニケーション言語」とでもいうものが生まれたりします。以前はこのようなことばのあり様は否定的に考えられていましたが、混ざっていてもそれは豊かなことば世界だと捉えることができるでしょう。大切なのは、誰と話すか、どんな場面で話すかで、その「ぐちゃぐちゃ」を、子ども自身が整理し選んで表出していける力だと思います。例えば、タイの祖父母には、自分の中の「ぐちゃぐちゃ」から相手のわかることばを選び、伝わることばを知らない場合は、日本語ならこういうんだよ、などと、自分の複数言語能力をフルに活用しわかってもらうといった経験を積みかさねていくことです。こういう経験を経て、子どもは、自分のことば世界と外の〇〇言語との世界を繋げ、ことばを成長させていくのではないかと思います。


タイ語でお母さんに「給食袋」の説明がなかなかできない

 また、まさきさんからは「子どもが母親とのタイ語会話の中に、知らない日本語、例えば『給食袋』や『運動会』を使うから理解できず、子どもにその言葉を説明してもらおうと思っても、子どもにとって日本特有の表現をタイ語で説明するのはフラストレーションがたまってしまって…」と語っていました。オーイさんは、日頃子どもとはタイ語で話していますが、子どもが小学校に通うようになってから小学校特有の表現などタイ語にない日本特有の表現を子どもがタイ語会話に混ぜて使うようになったと言い、自分の知らない日本語の表現がまざる親と子の会話に不安を感じているようでした。また、B夫婦の夫も、タイ語での説明が難しくて子どもがフラストレーションを感じてしまうことが、子どもがタイ語を話したくなくなる要因になってしまうのではないかと不安を感じているようでした。

 このような事態は他の親子間でも起こり得ることです。日本生活が長くなっていくと子どもの日本語能力が親を超えていき、子どもが「タイ人親と話すのは大変!めんどう!」と思ってしまうこともあるかもしれません。「給食袋」や「運動会」のように日本の独特の学校文化を反映した用語は、そもそも、給食や運動会の説明からしなければなりません。相手が経験したことがないことを説明するのは大人にも難しいことです。

 子どもは伝えることの難しさを感じ、説明することを諦めてしまうのも当然です。でも、こんな時こそ「今が、複言語・複文化の学び時だ!」と捉え、親は「知りたいんだ。教えてくれない?」と、ゆったり構え、子どもに感心しながら、諦めず、子どもに教えてもらう。そんな風にできないでしょうか。そして、意味が理解できたら、大変難しいことをやり遂げた子どもさんを十分ねぎらい、称賛する。そして、諦めずに子どもに学びを得ようとした自分のことも褒めて、親と子の学びの時間にできたらいいと思います。「日本のことなら、自分のほうが知っているよ、だから教えてあげる。」という関係が、子どもにとって負担ではなく喜びになる関係を作りたいものです。


 

第1回日本部会ワークショップ関連の報告はこちら

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