JMHERAT 第20回セミナー
実践の往還を考える
―複数の言語と文化を生きる子どもの成長を支えるために―
2024年3月31日(日)に開催した第20回セミナーの1回目の報告です。今回の記事では、第1部の言語活動実践報告者2名の発表内容とコメンテーターの池上摩希子先生のお話をご紹介いたします。
前回までの記事
・終了報告はこちら
言語活動実践報告①
「平和な社会を築く社会市民育成を目指した年少者対象活動」
根元佐和子(パリ南日本語補習校)
パリ南日本語補習授業校で日本語の継承活動に関わっている根元さんは、社会市民性の育成を目指したことばの実践に取り組まれています。ことばの学習には言語表現としての学習だけではなく、人格形成の目的もあり、平和的で民主的な解決方法を見つけられる大人になってほしいとの願いをこめて実践をなさっています。ご発表では、週1回90分の授業で「対話」を通して、社会市民を養うことばの教育を目指した活動実践について話されました。以下に、ご発表の一部をご紹介いたします。
「対話」活動を通して
根元さんは、対話を大切にした授業実践を通して、子どもたちからいくつかの変化が見られたと述べられました。一つは、話し方の変化です。子どもたちからは、白黒をつけたり、悪いことを訴えたりするような言い方が非常に少なくなり、相手を尊重する言い方も見られるようになりました。悪いことをニュートラルに批判しながらも受け入れて問題解決をしている様子がうかがえました。また、相手の背景を考慮しながら話すようになった姿も見られ、自分の経験に基づいて相手の立場や感情に共感し、協力しようという気持ちが表れてきたそうです。総じて、コミュニケーション能力が向上し、より良い人間関係の構築につながっていると述べられました。
対話活動には、教師の介入が必要な場合もあります。教師の意見を押し付けるということではなく、子どもたちの視点が広がるように、教師の介入が有効であるということです。社会市民性を感じられる発話ができるようになるまでには時間がかかりますし、子どもの年齢や日本語のレベルもかかわるものの、丁寧に時間をかけながら取り組むことで、社会市民性を育むことは可能であるということを述べられました。
言語活動実践報告②
「子どもの変容から考える継承タイ語教育実践の在り方
―「ベル先生」から「ベル姉ちゃん」へ―」
ニラモン・ラウィナン(金沢大学大学院人間環境研究科博士後期課程)
大学院生であるニラモンさんは、博士前期課程に在籍している頃から日本在住のタイにルーツを持つ子どもたちを対象にオンラインでのタイ語継承語教室を運営されています。ご発表では、実施したDLA(外国人児童生徒のためのJSL対話型アセスメント)ではタイ語の伸びが見られなかった3名の子どもたちに着目し、本当にその子どもたちには何の変容が見られなかったのかという研究課題を立て、「態度」「情緒」「関係性」の3つの観点から再考した結果について話されました。以下に、ご発表の一部をご紹介いたします。
「ベル姉ちゃん」としての自分
タイ語の継承語教室を始めたばかりの頃は、保護者の希望に応えるために家庭ではなかなか取り組むことが難しいタイ語の読み書きを身につけることを目的に教室の運営をしていました。しかし、子どもたちと触れ合うなかで考えが変わってきて、実践教室とはどういうものなのか、誰のものなのかという問いが湧き上がってきたそうです。実践について他者と話し、考えを巡らせる中で、継承語教室に参加している子ども達が中心であるということに改めて気づき、子どもたちに継承語学習を継続してもらうためには何が必要かという問いが浮かんできたそうです。その結果、キーワードとして、「個」を大切にすること、子どものことを理解しようとする力、子どもの話を聞く姿勢、子どもの態度を否定しないこと、継承語の使用を賞賛することの5つを挙げられました。そして、継承語教室のあり方への認識の変化もあったようです。「ベル先生」として活動を作っていたが、子どもたちの姿勢から、自分は「ベル姉ちゃん」であるべきなのではという捉えなおしがあったようです。そして、その実践空間というのは、「教室」ではなく、子どもたちが楽しめる「遊び場」であるという気づきを得たそうです。そして、最後に、習得の難しいタイ文字の指導は必要なのか再考をし続けていくことを話されました。
池上摩希子先生のコメント
※1ページ目の言語活動実践報告1の発表者名の表記は、正しくは「根元さん」です。
根元さんの発表は社会市民性を養うことの意味につながっていた実践だったと思います。子どもたちへのことばの教育とは何かについて考えたとき、言語力が豊かになっていくことを目指すことはもちろん大事ですが、それだけではないということをしっかり考えて行われた実践でした。教室全体が「この子どもたちへのことばの教育とは何か」という問いから、「社会市民性を養う」という具体的な視点に落としていったことで、少しずつ子どもたちにその力が養われていったのだと思います。本日の発表では、いろいろな子どもたちに対して、いろいろなプロセスで関与していた様子が見えたのではないかと思います。
また、今回は先生と子どもたちのやり取りが中心でしたが、このやり取りは子どもたち同士でもやっていると思います。仲介する能力を養うためには、先生の介入はもちろん必要なことですが、それは最初の段階であるとして、その後、だんだんと広がっていって、子どもたち同士で仲介し合うということが見えてくると、まさに子どもたちが仲介する能力を身につけたと言えるのではないかと考えます。
ニラモンさんの発表は、「子どもたちの成長を見る視点が足りていなかったのではないだろうか」という問いから3人の子どもたちの変容について、改めて掘り下げていったところが素晴らしいと思いました。この問いについては、JMHERAT運営委員の深澤さんや松岡さんとのやり取りがあってのこととおっしゃっていましたが、ここでも「実践を共有する」ということが起きていたと思います。ですので、たぶん一人で実践をして一人で振り返りをしてわかることもたくさんありますが、他の方と共有することで、初めてこのような視点が必要だったという振り返りが起きたと思います。
子どもたちのタイ語リテラシーという観点では、子どもが学んでいく文字の順番と大人の学び方は違うと思いますが、難しさなどは同じだと思っています。 そうすると、今この子どもたちは日本に住んでいるので、「日本の中でタイ語の読み書きができる」ということの意味を一緒に考えたり、子どもたちが納得したりする必要があるのではないかと考えました。この子どもたちにとって、タイでタイ語で勉強している子どもたちの読み書きに追いついて、タイ語で勉強できるようになることが目標にはならないと思います。たくさん読み書きができることが良くて、少ないのはダメということではなく、子どもたちそれぞれにとって、タイ語やタイ文字がわかる、読み書きができるということにどのような良さがあるのかということを支援者の方が見出してあげる必要があると思います。これは子どもたちだけでは、なかなかわからないと思います。教科書を読めるようになることが目標ではないとしたら、一人一人にとって文字の読み書きができることがどういう意味なのかということを一緒に考え、それがいろいろな活動に展開できていくのかなと考えました。
今回の記事では言語活動実践報告を行ってくださった2名の発表内容とコメンテーターの池上摩希子先生のコメントをご報告いたしました。次回の記事では、第2部の複言語・複文化ワークショップ実践報告をしてくださった3名の発表内容とコメンテーターの舘岡洋子先生のコメントをご紹介いたします。