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親の語り「タイ語は読み書きできないんだけど安心感のあることば」「家族みんなではミックス、これが現実」:言語マップ・言語ポートレート(201709WS04)

みつめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実


タイで育つ子どもたちを新たな豊かさへ繋げる

複言語・複文化の視点 第4弾


 わたしを描く

 ―言語マップで何が見えるか―


言語マップで生まれた語り1

第2回報告では子どもたちの語りを報告しました。第3回の報告では大人たちの語りを言語マップを中心に報告します。 9月のワークショップに参加した大人たちは、保護者、インター校教師、大学の日本語教師など、様々な経験を持った大人たちです。ベトナムからの参加者もいました。 今回紹介するのは、保護者でもあり、教育関係者でもあるDさんとTさんです。 ワークは言語マップを描いたのち、大変だった時にシールを貼り、大変だった時のことを軸に自分の経験を語り共有しました。(ワークショップの流れ


 

《言語マップ:大変さを中心に語られたライフストーリー1》


Dさん(40代) 夫:タイ人(中華系) 子ども:娘2人(高校3年生/大学生:日本に留学中)



タイ語と私

25歳の時に、結婚を期にタイに移住。それまでは殆どピンク(日本語)のみ。

タイ人の夫とはタイに移住後もずっと日本語を使っていて、銀行の手続きなどタイ社会との接触も全て夫がしてくれているため、タイ語やタイ文化とぶつかることはなかった。今も家の中は日本語。

結婚後3年くらいで子どもを出産、家庭内では日本語のみ。ただ、子どもを産むタイミングで夫の家族がよく出入りするようになり、そこでの会話がタイ語と潮州語が入り混ざっていたため会話に加われず葛藤を抱える。子どもの幼稚園とのやり取りはタイ語で、そこでもタイ語の壁にぶつかる。夫からもそのころタイ語をがんばれよと言われるようになった。でも好きでタイに来た人のような意気込みはなくて、いつも逃げていた。しかし、ムーバン※ のタイ人のママ友が声をかけてくれて自然にママ友のコミュニティーに参加するようになった。ママ友たちが幼稚園の手紙を読んだり、手助けをしてくれたおかげで、子育てのタイ語に困ることはなくなり、今はタイ語に対して居心地がいいという感覚を持っている。

※塀に囲まれ安全を確保された、郊外の集合住宅街のこと。


仕事、そして仕事で使うことば

子どもが生まれる前の3年間タイの学校で働き、タイ語と英語という2つのことばの壁にぶつかった。ことばだけでなく、学校文化の違いという新しい価値観にも馴染めなかった。現在はインター校で勤務している。英語はさんざん習って一所懸命やってきたけど、苦しい。それに比べてタイ語は読み書きできないんだけど安心感のあることば。今回のワークでそのことに気がついた。


ワークショップを終えて(終了後の感想文から) 日本語以外の言語に対して自信がなかったが、現在の状況の意味が分かってきた。→トランスランゲージング、それぞれの言語が独立していると思っていたので、渾然一体という新しい知識が、素直に現状(自分・子どもたち)を受入れることが出来る。



ご自身を語ってもらった言語マップでも、ご自身のことより娘さんたちの言語環境やアイデンティティーなどについて多く気にされていました。

タイで生まれ育ち、自分たちをタイ人と思っているが、日本人でもあるという葛藤を抱いている娘さんたちに「それでいい」と伝えられると、パッとした表情でワークショップを後にしたのが印象に残っています。

(同じ活動グループの運営委員より)

 

《言語マップ:大変さを中心に語られたライフストーリー2》


Tさん(40代)

妻:タイ人

子ども:息子2人(高校3年生/大学生:アメリカに留学中)

使用言語:妻とタイ語、子どもとは日本語、子ども同士は英語



言語経験の大変さ−方言、タイ語、英語

 4歳で福井に引っ越した。福井は方言がきつくて、周囲のことばが理解できなかった時のことが強く記憶に残っている。大学を卒業してすぐタイにある日系幼稚園に就職。タイ語の勉強はしてこなかった。

 勉強してから来たら、もっとスムーズに働けたのではと思うが、日系幼稚園だったこともあるし、周囲の人が助けてくれたから、何とか乗り越えた。結婚後、タイの親戚と集まると、ことばが分からない時があるので、取り残されてる感じがあった。それは今でもある。

 職場ではタイ語と英語を使う。タイに来た当初、英語も通じず、タイ語もわからず大変だったが、それ(言語体験)も目的だったので楽しくもあった。自分の言語能力はビジネスレベルではないので契約や行事運営で勘違いが非常に多い。でも習慣の違いも関係していると思う。ことばだけじゃないだろう。大変だったこととして思い出されるのは、子どもがインター校に行ったことでインターの先生とのコミュニケーションが大変だったこと。学校の先生との面談のときに先生に気軽に聞けないということもあった。


子どもの学校選択の理由

 子どもは2人とも、職場の日本人幼稚園卒園。日本人小学校に進ませる予定だったが、インター校にした。妻は日本語が分からない。インター校のほうが子どもの教育に関われると考えた。自分が働いているインターならタイ人スタッフもいるし、スタッフとも知り合い。日本人学校はタイ語の対応があまりないのではと心配した。お弁当を作るのも大変。日本語で学べる高校がタイにないことも理由の1つ(今は1校できましたが)だった。


言語に関してー今は

 今、家族の中でのことばの問題はない。妻とはタイ語、子どもとは日本語、子ども同士が英語、これまでは日本語とタイ語が混ざっていた。家族みんなではミックス、これが現実ということで(トランスランゲージングの話を聞いて)前回の学生たちのことば(第1回ダブルの大学生会「日本人なのに」「日本人だから」 - タイにおける母語・継承語としての日本語教育研究会)にも通じるものがあるような気がする。


ワークショップを終えて(本人からの聞き取り)

 自分の人生を振り返る機会になった。タイバンコクに住み移り25年、日本語、タイ語、英語、複言語の環境にいることを実感。複数の言語と文化の豊富な環境で、幼稚園という職場で子ども達が色々な国の人々と交流を持てる機会を作っていきたいと改めて思った。そのため、英語、タイ語をビジネルレベルまで勉強しようと思う(やりたいこと、伝えたいことをことばで伝えたい)。ワークショップを経て、語学学習のやる気が出た。仕事自体がいい方向に向かっているので、言語の勉強をもっとしたいと思って、コミュニケーションがもっととれるようになりたい。子どもが独立したために、離れた分、もっとことばでの交流が必要になってきたから。バンコクという国際的な土地柄をもっと生かしていきたい。


 

Dさんは英語の方が明らかに言語能力は高いのに、タイ語のほうが安心感のある言語なのだといいます。言語ポートレートは自分と言語(と文化)との関係を表しますが、Dさんの言語ポートレートにはタイ語は自分を支えることばとして足に描かれているのが特徴です。私たちは、言語能力が高くなればそれだけ子どもを支える力になるはずだと考えがちですが、言語がその人にとってどのような価値があるかは、誰とどこで、どのように育まれたことばなのかが重要なのだと気づかされます。子どもにとって自分らしくいられ安心できることば世界があることの重要さを感じます。


Tさんは外国語体験の前に日本国内の福井の方言の体験を書いています。これも言語体験です。大人になってから自分の意志で来たタイでの外国語体験は楽しめる面もあったことに比べると、予測せずに起こった方言体験はもっと「大変な」経験だったようです。2回目報告で紹介した子どもの中にもタイ語と日本語のほかにイサーン語※ についても語った子どもがいました。イサーン語とタイ語は決して一括りにできないそれぞれの言語世界でした。

Tさんはタイ滞在25年で、家でも職場でもいま特に言語も問題を抱えているわけではありません。しかし、言語マップを描いたことで自分を振り返ったら、できないまま慣れてしまっていた自分に気づき、改めて英語もタイ語ももっと伸ばしたい、もっと深く関われることばにしたいと考えました。

※タイ東北部のイサーン地方で話される言語。


どの人も自分の言語体験は自分で十分わかっているつもりですが、言語マップを作成し自分のこれまでの体験を可視化すると、意識していたつもりと違うことに気づきます。そして、さらに言語ポートレートを描くことで、今の自分とことばとの関わりを見つめ直し、新たな自己発見がありました。これまでの自分の体験を整理し、可視化する「言語マップ」。今ここにいる自分と言語(と文化)の関係を描く「言語ポートレート」。この2つのワークで大人たちにもたくさんの発見がありました。


次回は自身が日本国外で育ったAさん。タイ以外の外国での生活経験しタイで子育てをしているMさん。このお2人の報告をします。2人にはワークショップ終了後、自分でライフストーリーを書いていただきました。


JMHERAT運営委員


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