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各クラスの実践報告ー「本気」がことばの力を伸ばす(202103セミナー17)

継承日本語教育を考える

―バンコクにある親子でつくるテーマ型活動教室の実践から―


2021年3月28日に終了した第17回セミナーの3回目の報告です。今回は、「各クラスの実践報告」「各クラスの実践報告へのコメント」「質疑応答」を掲載します。


前回までの記事

 ・終了報告はこちら

 ・報告①「特集の趣旨とコメンテーター紹介」はこちら

 ・報告②「教室の紹介、教室の概要、コメンテーターから」はこちら



各クラスの実践報告では、幼児部、低学年部、高学年部から発表がありました。


幼児部からは、「年齢差があっても楽しく一緒に活動し、それぞれが成長できる。」という目標を掲げて1冊の絵本を軸に展開した活動の報告がありました。報告された3冊の絵本の活動のうち、1冊はオンラインならではの特色を生かしたものでした。

低学年部からは、「つなぐ」というテーマのもとでの対面・オンラインによる様々な活動実践が報告されました。中でも「等身大記録」は、教室で友だちとする(自分と友だちをつなぐ)、家に持ち帰ってもできる(教室と家をつなぐ)、家族と一緒にできる(子どもと親をつなぐ)、発表会をする(ほかの人たちとつなぐ)活動として、具体的に紹介されました。

高学年部からは、クラス目標のもと、子どもたちの意見を取り入れた活動実践が紹介されました。中でも、「チャリティグッズ販売」は子どもたちの意見を取り入れただけでなく、その家族も巻き込む活動になり、最終的には教室の外の社会との関わりへと発展する活動となりました。

発表に使用したスライドをご覧になりたい場合は、各発表名の下にある「発表スライド」をクリックしてください。


セミナーでは発表後に、コメンテーターからそれぞれの実践報告に対するコメントがあり、それから小グループに分かれ参加者ディスカッションを行いました。その後の全体共有では多くの質問が寄せられましたが、ここではコメンテーターへの漢字学習についての質問を取り上げてご紹介いたします。


 

【各クラスの実践報告】

  • 幼児部実践報告 「1冊の絵本から広がる世界」 鵜野晋、番場千恵、ケウホワサイ美穂子 発表スライド

  • 低学年実践報告 「つなぐ―教室と家と、僕と私と、今とこれから 等身大記録活動を中心に―」 ニューマン杏菜、龍田裕紀、川口泉 発表スライド

  • 高学年部実践報告 「お互いの刺激の中で、考え、選び、自主的に活動する喜びを体験する場を目指して」 安藤浩 、三好緑、高島ゆうこ、青木有里香 発表スライド


  • 石井先生コメント 「本気」がことばの力を伸ばす

  • 池上先生コメント 発達段階に沿った目標と活動を組む


  • 漢字学習についての質問と回答

 

【実践報告へのコメント】


石井先生コメント

<「本気」がことばの力を伸ばす>

やはり「○○ごっこ」ではない、本物の活動としてことばを使うことが、間違いなくことばの力を伸ばすという、それに尽きるのではないかなと思います。子どもたちの活動を紹介していただいて、クオリティーもちゃんと保証しようという意識がはっきり見える、本気の活動であることが明確にわかりました。そこにはちゃんとサポートしようとする親たちの意識が明確です。十分にそういう活動を続けていけるだけの裏方として、のいろいろなことはあるんだと思いますが、やはりことばというのは必要があるところにしか生まれない。そのことばを使うということを、それも十分なことばの力を持っていない子たちがほかの人たちの中でことばを使うというのは、それなりのハードルがあると思うのですが、でも、自分はこういうことがしたいということを皆に分かってもらいたいとか、誰かの意見について、自分の意見はちょっと違うことを伝えたいなど、周囲の人の助けを得ながらでも、ハードルを越えて自分の意見や気持ちをことばで伝えることを重ねていくことで、ことばの力は確実にのびていきます。

それは単にことばの力をという話だけではなくて、ことばを使いながら相手との関係をどうやって作っていけるだろうかとか、世の中がどういう環境になっているのかということも、当然こういう活動というものの中でいろいろなことを考えて、それはただ考えただけではなくて、自分たちの力でそれをある方向に向けて実現していくというような、ある部分、責任というものを追いながら周りの人たちと関わりつつ、周りの人たちと関わるということは、それを相手に納得してもらう。そして、自分も納得できる活動としてやっていくには、いい加減なことばではなくて、ちゃんと相手に理解してもらえることば、あるいは自分自身がよく分かったと思えることばにたどり着くこと。なんとなくそんな感じかな、で終わらずに、納得できるところまで、そのことばを自分の中にぶら下げておけばよいのです。

そのことをサポートする周りの親御さんたちの力。これは多分いろいろなことを試行錯誤しながら、親御さんたちも子どもと一緒に学んだんだろうなと思いますが、そういう形の活動というのは本当に力があるし、単にことばを学んだのではなくて、ことばと一緒に自分たちがどう生きていくのか、自分たちは何を考えなきゃいけないのか、というようなことを、それぞれの子どもたちがそれぞれの子どもなりに考えていくという、生きていく力みたいなものに繋がるなという、とても私自身感動したというような、とても素晴らしい活動を見せていただいたと思います。



池上先生コメント

<発達段階に沿った目標と活動を組む>

幼児部、低学年部、高学年部というふうに活動紹介が進みましたので、発達という観点から抽出してコメントしたいと思います。それぞれの発達段階に沿って、今ほど石井先生がお話くださったような目標、それから、どんな子どもを育てるかというところに沿った活動が組まれていたと思います。


<幼児部 ことばを楽しむ活動・プレリテラシー活動>

幼児部のほうは読んだり書いたりには、文字にはそれほど重きを置かないとおっしゃっていたのですが、それでも十分に低学年に繋がる、つまり、学校に入る前の子どもたちに必要なことばの力、プレリテラシーという言い方もできるのですが、ことばを楽しむ、ことばを使って活動することは楽しいんだ、自分はことばを使ってこれからも活動していくんだということを十分に伝えられるような素晴らしい活動がいっぱい組んであったと思います。絵本を選ぶのは大変だという、そうですよね、私もそのように思いましたが、活動の中身を見ている限りは、選ばれた絵本にふさわしい活動が組まれていたと思います。また、たくさん絵本を選ぶことになると思いますが、嬉しい課題、迷いになるといいなと思って拝見していました。


<低学年部 概念化のために必要な言語活動>

低学年部のほうも「つなぐ」というテーマは、本当に素敵なテーマだと思って見ていました。記録も面白かったですよね。ああやって本当に自分に身近なことを等身大のものに表してはいるんですけれども、インタビューで伝わったと思うのですが、考えたことを描いたあとに、それを媒介にして第三者に伝えるということは、非常にある意味この発達段階の子どもたちにとっては概念化のために必要な言語活動だと思います。それに子どもたちのちょうどいい材料を自分で作って、つまり、言いたいことですよね。それを媒介にやりとりができるのはとてもいいんじゃないかと思いました。いつも話していることからちょっと発展しますよね、今のお話というのは。つまり、日常からどうやっていい意味で離脱するかというのは、子どもにとって自分のことばの力を上げていくために必要なことです。それを意味のある内容と相手に伝えるということで伸ばしていくことが可能だと思いました。


<高学年部 主体性が熟すプロセスを支える活動>

一方、高学年までいくと、ここでは自主的にさせていく活動を組んで、それに乗っていくということが大きなテーマだったと思います。1つ1つの決定が社会と繋がっていて素晴らしいなと思ったのですが、そこに至るプロセスが面白いと思って見ました。一番最後の意義のところでスライドにもあったと思うのですが、円が広がっていく感じ、あれを私は子どもの主体性というものが熟していくプロセスなんだと思って見ていました。子どもの主体性というのは、もちろん尊重するべきことなんですが、放っておいても熟してはいかない。そこに周りの私たちがどうやって関わっていくかということはとても大事なことだと思いました。それをなさっている活動のように思いました。主体的、自主的というと、放っておいたり、勝手にさせたりと思われがちですが、ここにいる皆さんは思わないと思うんですけれども、でも、一方で、どうやってそこに主体性、自主性を失わないように支援していくかというのは難しいことだと思うのです。この高学年の活動というのは、そこに留意しながら子どもたちに伴走していくものになっていたのではないかと思いました。


今申し上げた点はそれぞれの子どもたちの発達段階に沿ったと言いますか、その発達段階においてとても大事な課題になっていると思いますので、その課題に沿ったものになっていたのではないかということをコメントとして申し上げました。


 

【質疑応答】

【参加者からの質問】 多くの学校同様、私が勤務している継承日本語教室でも漢字の学習がいつも課題になっています。今後、継承日本語教育において漢字はどのように身につけていくのが良いとお考えですか。


石井先生回答

<漢字の意味と面白さ>

漢字はかなり個人差があると思います。漢字は放っておいてもどんどん書きたいという意欲が湧く子が多い。普通の文字と違って、漢字ってその文字の意味のイメージが湧く

からだろうと思いますが、漢字が好きでどんどん自分で学ぶという子たちもいます。一方、やはり多くのお子さんたちは画数が複雑だし、形のバランスをとるのも難しいなど、なかなか大変ということもあります。

ひらがな、カタカナは、音を表すだけで1つ1つの文字に意味があるわけではないですから、漢字の学習のほうがモチベーションをもちやすいと思います。漢字は画数が非常に複雑だとか、1つの文字に読みがいろいろあるなど、難しいと思うことはありますが、意味のあることばに対応していること、字形にも意味があるなど、ひらがなやカタカナよりも漢字のほうがずっと面白いよ、と漢字の面白さを伝えると、興味が出てくるんです。

一方、ひらがなは文字の形と音の対応だけで意味はないですから、文字をいくら眺めても面白さには繋がりません。漢字も字形を覚えるためにたくさん書く練習をしますが、文字の形を覚えるにしても、それぞれの文字がどんな意味の組み合わせでできているか、この組み合わせだからこういう意味になるんだと、ことばとしての意味があることを理解できる。「この漢字を使って文を書いてごらん」と言うと、適切な漢字語彙を使って意味のある文が作れる。漢字に意味があるから、文字を写すだけでなく意味のあることばや文を使って考えることができるんですね。ひらがなの「あ」を習ったら、字形を覚えるために書く練習をしますが、字形を覚えたらそれ以上の展開はありません。漢字は画数が多く、字形が複雑なため、ハードルは高くなりますが、まずは「正しく、美しく書く」いう目標はちょっと脇に置いて、漢字の面白さをまず感じる。字形からこの漢字はどんな意味か想像したり、というところから入ったり、書けなくても字形が認識できる、など、小さいステップでハードルを少し下げたところから、慣れて行く。漢字を学ぶことは、音と対応した文字であると同時に、意味を持った語彙の学習です。字形の練習も必要ですが、ことばとしての漢字の学習を考えることで、指導や支援の方策はいろいろな工夫ができると思います。



池上先生回答

<継承語教育の意味の多様さ>

継承語教育においてというご質問ですが、まず、継承語というものと継承語教育ということ自体が世界中にもちろんあることなのですが、すでに一言では括れない状況になっているということを共有する必要があるかなと思います。バンコクにおいても、継承語という意味が非常に多様になってきているということはここまでの発表の中でも知ることができたと思います。つまり、この継承語の意味の多様さというのは、国にもあり、地域社会もあり、学校、それから家庭、保護者のそれぞれ、子ども本人などなどが多様であるからこそ、継承語というのがどんなものであって、それを教育するということの意味は何なのかということが多様なんだということがまず前提にあるので、一概にどうすべきかとか、どうするのがいいかということはなかなか言えないというのがあると思います。


<子どもの言語生活、コミュニケーションに必要なものは何か>

子どもにとって漢字を覚えることが非常に子どもの今後に必要なのであれば、それは支援していく必要があるとなっていくと思うんですけれども、その時に、モノリンガルの子どもたちと同等にという目標立てをするのではなくて、今、石井先生がおっしゃったことと重なりますけれども、本人にとって何が必要で、ただ教育漢字の順番とか量とかではなくて、その子の言語生活、その子のコミュニケーションに必要な語彙は何なんだろう、そこに漢字という文字をどのように乗せていくんだろうというふうになっていくのが必要なのではないかと思います。もちろん文字は手で書いて覚えるというのが一番いいという、それが覚えやすいという研究結果もありますが、ここまでいろいろな機材やツールが発展しているとしたら、子どもたちが漢字を見たり表したりすること自体、手で書くことが減っていくかもしれませんね。そうすると、タイプして出てきたものをどう選べるかとか、認識のほうですけれども。あとは、書く時も入力したものから変換できるかとか、そういったところにだんだんシフトしていく必要もあるのではないかと思います。


まとめると、継承語、継承語教育の前提、意味づけをした上で、その子にとって必要なものというのをモノリンガルの子どもたち、日本の学校で日本語がオーラルのほうでは問題がない子たちが文字として覚えるのではない手立て、量も質もだと思うのですが、で教えていく、一緒に学ぶということが必要なのではないか、もし継承語教育においてというふうに考えるのであれば、少し具体性は欠けますけれども、そうするのがよいのではないかと考えます。


深澤:今、池上先生がお話くださった、その子にとって必要なことばということで言うと、先ほど高学年のところで、話し合いの中で「障害」とか「寄付」とか「貧しい」ということばを子どもたちが知らなくて、対話の中で出てきて、それをひらがなで書いていました。それがことばを知るということで、それを漢字で書きたくなった時に子どもにとっての漢字の必然が生まれる、漢字が身に付くということなのかと思います。継承語という枠づけではない、そういう分け方ではないよと池上先生がお話くださったのですが、なぜか外にいる親たちが学年相応の漢字に拘ってしまう傾向にあるのは、なかなかほかに基準にするものがない状況から使ってしまうのかなと思います。ですが、今日お二人の先生がお話しくださったことを、今後も考えていきたいと思います。


セミナー報告の続きはこちら

報告④ 「教室に参加する人々の思い(調査報告)・セミナー全体のまとめ」


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